『London Calling』The Clash(1979)
セックス・ピストルズの存在が混沌や挑発の象徴だとしたら、同じくロンドン・パンクの二大巨頭の一つだった
クラッシュは、ストイックな実直さと社会との戦いの代名詞だった。その彼らの文句無しの到達点がこの3作目。
パンクの初期衝動のまま、サウンドをレゲエにブルースにジャズと多彩に拡大させたことも立派ながら、ここでは同時にこれまで通りに
「同世代」や「労働者階級」に軸足を置いた展開を見せる。
同時に「
スペイン戦争」や「
ヘイトフル」に代表されるような、時空を超えた問題意識と物語性を発展させ、
大量消費社会への懐疑(「
ロスト・イン・ザ・スーパーマーケット」)や
抑圧への怒り(「
クランプダウン」)など、問題意識の幅や洞察力にも深みを増した。この後、彼らの存在自体が世界で何が起こっているかのジャーナルと化していく。
『Fresh Fruit For Rotting Vegetables』Dead Kennedys(1980)
「アメリカではイギリスのようにパンクが国や音楽を変えたりはしなかった」とはよく言われる。だが、それは表面的な話であり、実際はアンダーグラウンドを拠点として、その種は確実に蒔かれていた。その先駆け的存在と言えるのが、サンフランシスコのハードコア・パンクのカリスマ、
デッド・ケネディーズだ。
来る‘80年代のアメリカの保守化を予見するかのように、大統領となるレーガンが先に統治した
カリフォルニアの格差社会の現状を「
キル・ザ・プア」やナチスの標語と引っ掛けて「
カリフォルニア・ウーバー・アレス」と歌い、‘70年代最大の戦争悲劇であるカンボジアの武装組織
クメール・ルージュによる国民の大量虐殺を歌った「
ホリデー・イン・カンボジア」などを通じ、アメリカの耳と感性の敏感な若きパンクスたちの社会意識を目覚めさせていくことになる。
<取材・文/沢田太陽>