頭で考えた知識で「排除」するのではなく、体感や「昔の知恵」を大事に
挿し木苗の根の浅さを補う、かつての人工林造作。根の浅い挿し木の杉林の中に深い根を張るカシや松を混植して、健康で強い土中の環境を作った
質疑応答の中で「林業従事者ではない個人ができること」を問われた際の両氏の回答が印象に残った。
「千葉は小さい山が多い。どこかでまとめていかないといけないので、集落単位かなと。集落で山をまとめて、所有者ができないのであれば、山を任せる『山守』を置く。その山守はずっと山を見ていく。
そうすると、自分の山であるかのようにやり始めます。その山固定でずっと経営できる状況になる。そこをうまく行政や集落が知恵を出して、ある程度経営できる面積を確保していく必要があります。
これをいかにやるか。行政の支援も必要でしょう。千葉は道がいたるところにあって、傾斜も緩い。林業はやりやすい環境です。その代わり、風が当たるリスクもあります。
そうした面も集落で考え、山守さんと相談しながらやっていくシステムを作り上げるのが重要でしょう」(中嶋氏)
「今回、僕はここ3週間、杉林の倒木被害地調査で100か所以上回っています。その中で思ったのは、まず、そういう崩壊する林分に立ったときの空気感の悪さ。快適じゃないわけです。山に入った心地よさがない。
それは植物もすべて感じていることです。そういうところには下草もなく、荒地に近い環境です。まず、この感じるということ。いわゆる専門家が頭で考えた知識に振り回されると、どうしても『これが悪い』『排除しよう』という発想になってきます。
そうではなくて、入ったときに気持ちいいか、よくないか。これは人間が持つ命、本能の働きとしてあるものです。気持ちのいい環境であれば、子供たちも自然に走り出す。昔はそんな環境はたくさんありました。
今は夏なんか、外は過酷で走り回れません。そんな環境ばかりになってくる中で、僕らは自然への体感を失ってしまいました。体感は頭で導く結論に勝ります。僕らは身近でこういうことがあれば、現場を見て回る。
そのときに意味があって自然界では現象が起こってくるわけです。その不動の摂理の中で起きてくる。それに沿った経営が伝統的な林業の中では行われてきました。それは環境を保つことにも繋がっています。そうでなければ、持続しません。
今回の災害で山武杉に目を向けていただきたい。その中で大切なものは何か、昔の知恵は何かを感じる。それを取り戻していくことが大事だし、誰でもできることではないでしょうか」(高田氏)
<文/片田直久 写真/高田宏臣>