献血ポスター論争、見落とされているもう一つの視点。問われる日赤の倫理規範

コラボポスターのセリフに見る倫理綱領からの逸脱

 このポスターのメッセージは、吹き出しの中のセリフにありますので書き出します。 「センパイ! まだ献血未経験なんスか?」 「ひょっとして・・・・・・注射が怖いんスか〜?」  これ、日赤の献血呼びかけとしては駄目です。広告におけるセリフ=メッセージは、日赤が発案するか、日赤が校閲するわけで、日赤に文責があります。そういった日赤からのメッセージである以上、「献血と輸血に関する倫理綱領」(ISBT: 国際輸血学会)から逸脱することは許容されないと考えます。  該当する条項を抜粋します。もっとも、倫理綱領全一八項目のうち第一項目目です。献血(血液事業)における世界的な大原則です。 ◆献血と輸血に関する倫理綱領より第一項目の抜粋 血液センター:献血者(原文では血液提供者)と献血(原文では血液提供)) 1. 移植用造血組織も含めて、献血はいかなる場合も自発的かつ無償でなされるべきである。決して献血者に強制すべきではない。献血者がその自由意志により全血、血漿あるいは細胞成分を提供し、それに対し、現金ないしは代替品とみなされる形の報酬を受け取らなかった場合に始めて、その献血が自発的かつ無償と判断される。この報酬の範疇には献血および移動に要する適正な時間を超える休業時間も含まれる。ただし、少額の御礼の品、飲み物・スナック、直接掛かった交通費の返済は自発的かつ無償の献血という定義に矛盾しないものである。 献血者は全血や血液成分を献血することについて、またその血液が輸血部門によりその後(適正に)使用されることについて、説明を受けて同意すべきである。  要点を抜粋します。 1)「いかなる場合も自発的かつ無償でなされるべきである。」 2)「決して献血者に強制すべきではない。」 3)「献血者がその自由意志により全血、血漿あるいは細胞成分を提供し、」 4)「それに対し、現金ないしは代替品とみなされる形の報酬を受け取らなかった場合に始めて、」 5)「その献血が自発的かつ無償と判断される。」  現代において、血液提供は、いかなる場合も「自発的かつ無償」でなされるべきです。また血液提供者へは「強制すべきではない」とされています。その論理によって「血液提供者がその自由意志により全血、血漿あるいは細胞成分を提供」することが求められています。これらを満たすことによって「自発的」意志決定と定義されています。 『宇崎ちゃんは遊びたい』(以後、宇崎ちゃん)と言う作品は、いわゆる「ウザカワ」作品ですので、圧迫型のセリフが多く、血液提供者の自由意志への圧力的干渉が避けられません。勿論このポスターでは、干渉が成功するかと言えば、実のところほぼあり得ませんので、広告として余り意味がありません。むしろ逆効果であり、広告宣伝では、典型的な失敗と言えます。

提供者の自由を侵害する危険性を孕む「圧迫型干渉」

 この圧迫型干渉、とくに同調性圧力が献血において存在する代表例は、高校における集団献血で、その同調性圧力が故に効率が良く、濫用されているという指摘があります。筆者にもこれには心当たりがあり、大学などと異なり高校の集団献血では、提供者の自由意志の侵害が危惧されます。また筆者には献血後の体調不良の経験はありませんが、屈強な男子生徒を含め、少なくともパーセントの桁で男女生徒が献血によって倒れてしまうなど実体験として血液提供者へのリスク説明と安全の確保が万全とは言えないところがあります。そしてこの問題は、筆者が知る限りでも、過去35年を超えて継続して指摘されてきています*。「志願者、一歩前へ。」の号令で、全員が志願するほかない状況を作り、責任を「志願者」のものとするが同調性圧力であって、日本では今日でも濫用されます。 <*献血は大切 でも… どう考える?高校生の集団献血 パート2 全日本教職員組合(全教)>  血液を含む移植用組織提供は、たいへんに需給バランスが崩れやすく逼迫しており、提供者(ドナー)の獲得が至上命題であることは確かなのですが、今回のポスター騒動では、日赤の献血と輸血に関する倫理綱領への理解と取り組みに疑念を持たせることとなりました。
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血液事業における負の歴史を忘れてはならない
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