そして3つ目の特徴は、批評家やナードの心をくすぐる、
ポップカルチャーの引用だ。すでにさまざまな作品の影響が指摘されているが、社会問題が(アンチ)ヒーローを生み出す『タクシードライバー』、売れないコメディアンが人気トークショーの出演に執着する『キング・オブ・コメディ』、倫理観に欠けたメディアを描く『ネットワーク』、『フレンチ・コネクション』や『狼よさらば』、同じバットマンシリーズの『ダークナイト』や『エクソシスト』……。などなど、枚挙に遑がない。なかでもオペラのクラシック『道化師(パリアッチ)』は、ピエロの“笑顔の裏”という意味において、最大のモチーフとも言えるだろう。
こうした“サンプリング”の元ネタを探したり、共通点を分析できるのも、本作が絶賛されている所以だろう。作中では現実と虚構の境目が曖昧でありながら最新の世相を反映し、かつクラシックと言える過去の名作群の要素を散りばめられている『ジョーカー』。そんな舞台上でアドリブも交えながら、ホアキン・フェニックスが鬼気迫る演技を見せているのだから、面白くないはずがない。
そんな本作だが、筆者は諸手を挙げて楽しむことはできなかった。先に断っておくが筆者の一番好きなアメコミヒーローはバットマンで、原書も読み漁っているし、子供の頃は夕方にアニメ版を観て、劇場版もすべて映画館で鑑賞している。
では、どんな点が“気に食わなかった”のか。まずは監督のトッド・フィリップスがたびたびインタビューで本作は「
政治的な映画ではない」と述べていることだ。
映画の中身と関係ないと思われるかもしれないが、作中でもこれまで紹介してきたように、さまざまな政治・社会的要素が描かれながら、ハッキリとした姿勢はジョーカーというキャラクターからも、作品そのものからも感じられない。むしろ、ジョーカー自身が監督の声を代弁するかのように、「そんなことには興味がない」と述べているぐらいだ。