”死”は決して終わりではない 墓の上に置かれた遺族の白骨
トラジャ族の生活水準を考えれば、先に述べたような大々的な葬儀は、家族が亡くなったからと言って、すぐに行えるわけではないこと明らかだ。(西洋医学的に)亡くなった家族をミイラにし、家の中で共に生活する期間は、葬儀の資金を貯める期間であると共に、故人の人生の一大イベントである葬儀に向けての準備の時間なのだ。
また、トラジャ族の男性は、この期間について、「家族を葬る心の準備ができない中、ミイラである故人と共に過ごすことで、突然の喪失感や悲壮感を癒してくれる」と語る。
故人が正式に”死者”となるのは、ランブソロが始まる初日に家の中から棺を下ろし、豚を一頭供犠した瞬間。
しかしここでも”死”とは終わりを意味するものではなく、天国という次のステージに行くための通過点だと考えられている。彼らにとって”死”は、決してネガティブなものではないのだ。
“死”は生きるものと死者を隔てる壁ではなく、飽く迄も一つの区切りにすぎない。タナトラジャではランブソロをはじめとする様々な慣習を通じて、生死を超越した全ての人々が交信を取り続けている。
「葬儀を通して僕たちは先祖に感謝の気持ちを伝えている。そして彼らがあって僕らがあることを感じさせられるんだ。」
トラジャ人男性の言葉が忘れられない。
“死”と向き合うことで、彼らは生を尊いものだと感じることができる。これは近代化した日本で忘れられつつある大切なことなのではないかと筆者は考える。
生と死は常に表裏一体のものであり、本来我々は、死を語ることでしか生を語ることができない。
日本人である我々は元来、”死”を意識することを積極的に行ってきた。
江戸以前には「九相図」という人間が死んでから白骨になるまでの仏教絵画も存在し、元々「お盆」も先祖を祀るために生まれたものだ。
トンコナンハウス内にかけられた先祖代々の写真
加えて、我々の生き方には仏教や神道の思想を取り入れ発達した、「武士道」の心が宿っている。
武士道の神髄を伝える本として評価される『葉隠』の一節に、「武士道とは死ぬことと見つけたり」 という言葉がある。この言葉が多くの人の心に響いたのは、我々が死に意味を付与し、散りどきは美しく散りたいという、仏教的な死への親しみの心を持っているからではないだろうか。
しかし現代では、そんな”死”という自然界に不可欠な事象が、徐々に我々の身から遠ざかっている。
一昔前の日本では、道路や公園には引かれて死んでしまったタヌキや、寿命を全うしたセミの死骸が落ちていた。一方、現代では町から自然が消え、そんな小さな死にさえも触れることが少なくなっている。
大家族が基本となっていた頃の日本では、自分の祖父母の死や老いを間近で見つめなければならなかった。それが現代では核家族化が進み、祖父母と離れて暮らすことが多くなった。老人ホームや介護施設の台頭もあり、一番身近な存在であるはずの家族の老いでさえも、遠い存在になってしまっている。
現在でも多くの国では、自分の食べる生き物の命が目の前で断たれる瞬間に出くわすことがある。一方日本では屠殺所は町から消え、人の目の届かないところで行われるようになった。
おもてなしのため調理される豚
以前は生活の身近なところに当たり前に存在していた“死”。我々はそれを通じ、いつか訪れる家族や自分の死についても考える機会が与えられてきた。しかし現代の日本では、誰もが必ず迎えるはずの“死”が遠い存在となり、どこか他人事のように感じられてしまう。
資本主義思想や自由・個人主義的思想が欧米から流れ込んできて以来、近代社会はできるだけ”死”やそれに関連する”老い”や”病”を人々の生活から遠ざけてきた。”死”のみならず、嫌なものを目の前から消し去り、自分の好きなもの、心地いいものだけの世界を作ろうという時代の流れが確実に存在する。
しかし先述の通り、死と生は常に表裏一体であり、本来我々は、死を考えることで生を豊かにしてきたのではないのだろうか。
独特の文化を継承し続けるトラジャ族から、我々が学ぶことは多くあるのかもしれない。
筆者近影
<取材・文・撮影/KONY(小西遊馬)取材協力:ウェンディーツアー、B CAMERA CLUB>
慶應義塾大学2年。「人を動かすジャーナリズム」を掲げ、ドキュメンタリー映像・写真に加え、取材道中の出来事や撮影者自身の日常をInstagramを中心にSNSで発信。大学1年時の処女作、ロヒンギャ難民のドキュメンタリーは国際平和映像祭グランプリを受賞。アパレルブランド等のサポーターやラジオ番組を持ち、Yahooでドキュメンタリーを制作するほか、チームでイベントや海外でのスタディーツアーなども開催している。
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KONISHI YUMA