「殺していないのに絞首刑で処刑された人が何人もいる」元死刑囚の免田栄さんが冤罪の怖さを訴える

免田さん「冤罪がない社会にしたい」

免田栄さんと筆者 

1993年7月15日、免田栄さんに会って話を聞く筆者(左)

 高峰氏が「今も冤罪が絶えない。どうすべきか」と聞くと、免田さんはこう答えた。 「世の中は、逆も真理なりだ。何事にも裏があると、肝に銘じてきた。国が人権を保障する、国民一人一人が納得のいくまで考える。昔のような『お上主義』ではだめだと思う。  冤罪事件はいろんな人たちの問題だ。今日か、30年、40年後にあるかもしれない。みなさんもいつ何時、被害に遭うかもしれない。民主主義国に恥じないように、冤罪がない社会にしたい」  免田さんは死刑確定後、毎朝、処刑場に送られる可能性があった。 「人間の日常の生活でも、お互いに注意し合って暮らさなければならない。誰もが冤罪に巻き込まれるかもしれない」  無実の罪で34年間、自由を奪われた経験のある免田さんは、今も警察のでっち上げを警戒しているのだ。

「日本は捨てたものではないと思う」と玉枝さん

免田さん夫妻

免田栄さん・玉枝さん夫妻

 妻の玉枝さんは、裁判資料を永久保存する熊大に感謝しているという。 「地元の大学に展示していただき、若い人に、助けを求められる前に支援活動を始め、役に立つような人になってほしい。資料を栄養にし、参考にして、役立ててほしい。若い人たちにバトンをタッチしたい」  玉枝さんは「免田は今でも、昼間疲れていても横にならない。ソファに座っている。獄中では雑魚寝が許されなかったからだろう。今も長い拘禁生活の影響がある」と話した。  免田さんが釈放された翌年からともに暮らす玉枝さんは「一緒にいて思うが、この時必要なんだという時に、弁護士、支援者に出会うことができた。いろいろな人たちに助けられてきたと痛感する。そういう意味で日本は捨てたものではないと思っている」と話した。  さらに玉枝さんは「自らが必要なことがあれば、自らが立ち上がらなければだめだと思う。私たちが大切にされる社会をつくる。日本をもう少し住みやすい、平和な、障害者も安心して暮らせる社会にしたい」と訴えた。 <文/浅野健一>
あさのけんいち●ジャーナリスト、元同志社大学大学院教授
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