共同保育の試みを記録した映画『沈没家族』が問いかけるもの

親戚でもない「いろんな大人たち」に囲まれて育つ

1990年代後半の沈没ハウスの様子

 1997年夏、東京・中野に住んでいた筆者は、友人に誘われて東中野のアパートを訪れた。1階の玄関のドアは空いていて、数十人ほどの靴やサンダルが雑然と脱ぎ捨てられていた。見るからに不衛生な印象を持ったが、同時に懐かしくも感じた。  筆者がまだ小学生だった1970年代、埼玉県川口市の古びた長屋に年1回、父に連れられて行った。そこは親戚の家ではなく、父が18歳まで別の家族と2世帯で同居していた一間だけの家だった。  父が中高生だった1950年代までは、そのように血縁ではなく、地縁の隣近所同士が同じ家屋をシェアしながら暮らす長屋は珍しくなかったのだ。戦後の貧しさの中で生活を維持するには、そうしたご近所同士の頼り合いをお互いに必要としていたし、自分の子でなくても悪いことをすれば叱る大人が珍しくなかった。  その記憶があるから、きれいとはお世辞にもいえない東中野のアパートを訪れた時、よれよれTシャツでヒゲ面のおじさんたちがわんさかいても驚かなかったし、3歳ぐらいの男子が部屋中を走り回っていても、新しさを感じることもなかった。  「沈没ハウス」は、3組の母子と数人の若者が各部屋に居住し、生活を共にしながら育児も分担し、居住者だけでなく、(僕のように怪しいおじさんを含む)多くの人が頻繁に出入りする場所だった。  1995年、シングルマザーの加納穂子さん(当時23歳)は、1歳だった息子の土くんを一緒に育ててくれる「保育人」を募集するため、電信柱などにこんなビラを貼り始めた。「他者との交流のない生活でコドモを(自分も)見失うのは、まっぴらゴメンです」  「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」と考えたのだ。  すると、仕事をあまりしていない20代の独身男性や幼い子のいる母親など10人ほどが集まり、月1回の会議で担当日を決めて、育児日記も書きながら当番制で時間ごとに子どもの相手を担当する共同保育が始まった。その建物は、「沈没ハウス」と呼ばれていた。  若い穂子さんにとって、専門学校や仕事に通うことを育児のためにあきらめるのは悔しかっただろう。  そこで、子育てを一緒にしてくれる人たちが十分にいれば、自分の時間も保てるため、その分、息子に対して余裕をもって向かい合える。  そうすれば、子育てを苦労や面倒だけにせず、「楽しめるもの」に変えられる。そうした子育て環境にしたいと思って動いてみたら、結果的に実現できてしまったのだ。  昔の地縁による相互扶助と異なるのは、地縁ではなく「共同保育」に参加したい人なら歓迎する構えで保育人を「公募」した点だ。  親にとってはどんな人が来るのかはドキドキかもしれないが、責任の重さにつぶれそうな人は応募しないだろうし、子育てを面白がれる人でないとそもそも応募しないだろう。

子育ての是非を判定できるのは、育てられた子どもだけ

 いずれにせよ、当時の穂子さんにとっては、学校も仕事も子育ても両立させるには、複数の保育人が常にいる環境を作らなければならなかったのだ。  それでも、「そんなよくわからない人に囲まれた環境で子どもがまともに育つのか?」と疑問や怒りを覚える人もいる。しかし、子育ての是非を判定できるのは、そうした外野ではなく、育てられた子どもだけだ。  1994年生まれの土くんが、「ウチってちょっとヘンじゃないかな?」とようやく気づいたのは9歳の頃だったという。そのころ、母と2人だけで「沈没ハウス」を離れ、八丈島に移住した。その生活環境の変化が幼い彼に、「ほかの子と違う」という自意識をもたらしたのかもしれない。  やがて大学生になり、改めて「ヘン」と思った彼は、卒業制作としてかつての「家族」にカメラを向けたドキュメンタリー映画『沈没家族』の撮影を始め、完成作はPFF(ぴあフィルムフェスティバル)等の映画祭で評価された。卒業後はテレビ番組会社に入社し、ドキュメンタリーや情報番組の制作に従事しながら再編集し、今夏「劇場版」の公開に踏み切った。  「沈没家族」という名称は、1996年当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた穂子さんが当時に命名したそうだが、子育てを複数の男女がみんなで助け合って「沈没」したところで、誰が困るんだろう?  そもそも、父がいて、母がいて、子どもがいて、三者が同じ家の中でいる姿だけが「まともな家族」だろうか?  いろんな大人たちに育てられた当事者である「土くん」が監督した映画『沈没家族 劇場版』には、彼と一緒に沈没家族の中で育てられた女子も登場する。映画の中で、彼女はこう証言している。 「親と教師以外の大人にあんないっぱいかまってもらえるってさ、子どもにとって貴重なことだと思うし、小さいころだから自分の意見を言語化できなくても、たとえば親に怒られても、ほかの大人の部屋に行ったら甘やかしてくれるわけじゃん。家の中に逃げ場があった。親以外に甘えられる場所があった」  土くんも言う。 「その場で育つ子どもたちにとって、こういう実験結果ってどうなんだろうと思うと、悪くないよ。まぁまぁ成功してるよ。壮大な人体実験だけど」  沈没家族の大人たちに育てられた子どもたちは、大人になった今、かつての「保育人」に対して「家族」や「友達」と呼称することにとまどいを覚えながらも、彼らとの暮らしと自身の生い立ちについては満足している。
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親は子どもにとって「育ち」を助ける機能にすぎない
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ポレポレ東中野(東京都)アンコール上映 8/24(土)~9/6(金)
シネマイーラ(静岡県)9月14日(土)~20日(金)
横川シネマ(広島県)9月17日(火)先行上映(19:00~)※本上映は10月予定
静岡シネギャラリー(静岡県)11月9日(土)/13:00~
※自主上映会も有料で受付中