差し押さえの時に出てくるが、誰も価値を見出せず捨てられる”宝の山”<競売事例から見える世界38>

かつて栄華を誇っていた残骸

 見たことがないほど立派な太さでヒビ一つない真っ直ぐな大黒柱は、日本中を職人さんと探し廻って買い付けたということ、過去には養蚕で一時代を築き、人の出入りが大変なものだったということ、改築の際に柱に掘ってもらった彫刻は有名な作家先生の作品であるということ。  そして、そんな豪邸も一人暮らしとなってしまった今では、到底手に負えるものではないということ。  1階部分を案内してもらうだけでも大変な時間を要する形となってしまったが、2階部分も一筋縄では行かないであろう注意喚起があった。 「2階はもう30年以上誰も上がってないから、気をつけてください」 「2階にはしばらく上がっていない」これも同様に何度と無く聞いてきた台詞ではあるのだが、30年以上という時間の経過は初めての体験だった。  磨けばまだまだキレイに黒光りするのであろう階段には30年分の埃がつもり、グレーのカーペットが敷いてあるようにも見える。  そんな階段をなるべく静かに、埃を舞い上がらせないよう歩く。たどり着いた30年以上放置された上階には、なにやら白銀世界のような幻想的美しさがあり、それらは言うまでもなく埃により構築されていた。  各部屋で使われていた高級家財道具も時を経てそのままに眠っている。桐のタンス、ねじ巻き式壁掛け時計、真空管オーディオシステム、家具調テレビ。  今や一つ一つに資料的価値が見出されそうな高級家具たちも、いつからか2階の主となっているネズミ親子の食材でしか無かった。 「あ、息子の部屋だったところは大変だよ!ゴミ置き場だから!」  30年以上前のことを突然思い出した債務者男性が、一階から声を上げた。  確かに扉が閉まったままの一部屋がある。どうやら30年以上前に債務者男性との口論があり、息子が出て行ってしまってからは、今まで誰も開けたことがないという。

息子が出て行って30年以上経過したした部屋から出てきたものは

 恐る恐る扉を押し開く。  現れたのは80年代アイドルのポスターやグッズ、撮りためたベータのビデオ、今やレトロゲームと呼ばれるゲーム機とソフトの数々、キレイに整頓されたコミックスや雑誌にプラモデル。30年以上前のいわゆる“オタク部屋”が丸ごとタイムカプセルのように保存されていた。  それはゴミ置き場どころか、宝の山だった――。 「動産」は手間の割に利益率がよろしくないというのが現場に流れる考え方。  もちろん「こんなものがありました」という報告をいれる場合もあるが、一つ一つに対して「お宝」であるという判別も難しく、それらを搬出、保管、調査、クリーニング、公売という手続きを経て数千円~数万円という利益であれば、やはり見て見ぬ振りということになってしまう。  同じくこの家の木材という価値。  建物の取り壊し費用というものは、あくまでもめちゃくちゃに壊し短期間で跡形もなくしてしまうことを前提としているための低価格であり、価値あるものを傷つけずに取り出す前提となればコストは恐ろしいほどに跳ね上がる。  結果的に価値ある木材を全て買ってもらえたところで赤字になってしまうというオチが付くほどだ。 「もったいないじゃないですか」 「なんとかならないんですか」 「自分が買いますよ」 「貴重で価値あるものが目の前で失われていく自覚はありますか」  このような言葉をぶつけられることも少なからずあり、それなりに自覚は無いでもない。ただ、多くの人間が統制の上に連なり高速で何らかのシステムを回している以上、個別対応を可能とするシステムへの切り替えは容易ではないだろう。  人の手により生み出され、数十年、数百年と大切にされるものの方が稀だ。  失われて行く儚さも含め相対的なものの価値を動かしているのだろう。今はそれくらいの感覚で日々の“もったいない”と向き合っている。  冒頭のよくある勘違いに改めて振れてみる。「不動産執行」の現場で出会う「動産」は管轄外。残念ながら「動産」管轄との綿密な連携も取れていない。  そしてよく問われる“差し押さえの札”。我々はこの札を貼ったこともなければ、現場で一度たりとも見かけたことがない。  なので、困ってしまうのだ。「あの“差し押さえの札”記念に1枚ください」と言われても。 <文/ニポポ(from トンガリキッズ)>
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