性自認と同じように、身体も女性になりたい、と強く願うララは、女性になるための治療を受けている。まだ15歳という年齢ゆえに、男性としての第二次性徴が見られることから、まずは投薬による二次性徴抑制治療を受ける。そして、2年後に性転換手術を受けることを決意し、ホルモン治療を開始する。
映画では、性転換手術の説明も詳細になされる。「男性器を女性器に変える」という、大手術だ。「LGBT」や「トランスジェンダー」という一言では到底理解できるはずもない厳しさが、そこには描かれている。
この映画の見所は、ララと周囲との関わり、だと思う。ララには父親と幼い弟がいる。父親は映画の冒頭から、「君は今も女性だ」という言葉を繰り返しララに伝える。それでもララは「女の子になりたいだけなんだ」と涙を流す。父親はララの一番の理解者であり、ララと共に苦しみを背負う覚悟と優しさを持った、素晴らしい父親に思えた。しかし、どんなに寄り添っていたとしても、家族でもどうにもできないこともあることを、この映画は炙り出す。
ララが通う病院の医師や、カウンセラーも、ララをあたたかく見守り、寄り添おうとする。無理をしてはいけない、と常にララの心をほぐそうとする。バレエスクールでも、バレリーナ、つまり女性として、バレエを踊っている。しかし、人がどれだけ「ララは女性だ」と認めてくれたとしても、自分が自分自身を女性だと認めることができなければ、その苦しみは消えることはないのだ。