終戦記念日、コリアンタウンから“戦争を見つめる”

 1945年8月15日正午、昭和天皇が玉音放送で終戦の詔書を音読した。それから74年後の2019年。当時とは比較にならないほど、日本の経済と文化は大きく発展を遂げている。  8月15日、終戦記念日当日。靖国神社には右派から左派まで様々な団体の人たちが訪れ、政治活動を行った。昨今、右派による在日コリアンへのヘイトが目立つ。  同じ8月15日も、韓国人にとっては「大日本帝国からの独立を取り戻した」光復節(北朝鮮では解放記念日)となり、ナショナリズムが喚起される日でもある。  多くの在日コリアンが住む町である東京都新宿区にある大久保。そこにいる人たちは、74回目の終戦記念日をどのように捉えていたのか。

戦争を全く知らないZ世代。ジェネレーションギャップでは片付けられないモヤモヤ

 23区内で最も在日コリアンが多い大久保。チーズドッグやタピオカの飲食店が連なり、若者向けの観光地を形成している。11時ごろに右翼団体だと思われる街宣車が、大音量で大久保通りを通り過ぎる。  30分後、ネット中継を再生しているスマートフォンから時報が流れた。新大久保駅前の交差点を見てみると、人々は足を止めることなく輝いた眼をして歩き続けていた。  終戦記念日とは思わせないような光景。若者の街である新宿も渋谷も同じようなものかと思わせるような光景。目の前で、行くところを話し合っている家族4人組に、声を掛けてみた。 娘:「終戦ってなに???あ、長崎のね。原爆やだ~」 父:「娘は小学5年生なんですよ。まだ歴史は習っていないと思うので、知らないかと。僕なんかはね、周りからよく話を聞いたものだからさ。今日の車の中は、ラジオで戦争のことを聞いてきました」  埼玉から車で来られた家族4人組。40~50代と思われる夫婦に小学五年生の娘さんと小学二年生の息子さんだ。「今日終戦記念日なのですが、黙祷はしました?」と聞くと、小学五年生の娘さんから「終戦って何?」と返ってきた。  僕が小学生の頃は、夏休みに、祖父母から戦争体験を聞いてくる宿題があった。僕の祖母は大正15年生まれだ。じゃんけんのチョキは親指と人差し指で作られる田舎チョキだった。変だとからかうと、ボケている真似をされ、話を流されてしまう。  しかし宿題でインタビューをしていた時の祖母は、顔つきが怖かった。「飛行機がバンバン飛んでね、怖かった。あんなものを繰り返してはいけない」といつもとは違う強い口調で話をしてくれたのを覚えている。  この小学生にはそのような機会がなかったのだろうか。  戦争の話をする時だけ、顔つきが異なる祖母。その様子から、悲惨さをひしひしと感じることができる。戦争とは恐ろしいものだと肌で学んだが、今の子はその様な経験をしにくくなっているのだろう。  戦争の記憶を風化させてはいけない、という言説をよく耳にする。戦争を体験した人が減っていく一方で、若者は戦争についての当事者意識が薄くなっているのが現状。  今の子供たちは親戚や身近な人から戦争体験を聞ける機会は少ないだろう。だからこそ、戦争体験を近い距離感で聞くことが出来た世代が戦争の記憶を継承する責務があるのではないかと感じた。

コリアンタウンにある教会。いるのは日本人だけ。過去の過ち認めるべき

 次に訪れたのは、淀橋教会。JR大久保駅北口を出て、すぐ横にある建物だ。韓国の主要宗教は、キリスト教。教会にいるのは韓国人ばかりと思っていたが、訪れてみると教会内にいたのは日本人だけということに驚く。淀橋教会にいた男性に、外国人差別などを見聞したことがあるかどうかを聞いてみた。  取材に応じてくれたのは、西荻窪から来たおじいさん。現在87歳とのこと。キリスト教の賛美歌を歌う団体に所属している。  昨今、罪なきコリアンに対する罵詈雑言がインターネット上に大きく現れ、右翼団体のヘイトスピーチが目立つ。  「まだそんなことを言う人たちがいるんだね、昔はよく来てたけどさ。令和の時代にもなってみっともないよね」  おじいさんが所属している団体には、外国籍の人物もいるとのこと。しかし、今まで在日コリアンに対する差別などは聞いたことがないと話してくれた。  「日本が韓国や北朝鮮に対して良いことも行ったが、悪いこともそれ以上に行ったと思う。日本はその点に関して反省が足りないのではないか。今のヘイトスピーチ活動は”自分のことを棚に上げた発言行為”。とんでもない」  戦時中の日本の行為は許されるものではない。非人道的な行為をしたのも事実。そこに視点が向いてないと話すおじいさんは、的を得ているのかもしれない。
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71歳、警備団の責任者が語るコリアンタウンの変化
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