植松被告に何か言えるなら。「そんな人生で楽しいの?」
優生思想の間違い点、そして我々が目を向けるべき命題を説明した愼さん。愼さんが植松被告と顔を合わせたら、何を話すのかと疑問が浮かぶ。
”植松被告に話したいことはある?”と聞いてみると、愼さんから意外な答えが返って来た。「一言を言えるのなら、そんな人生で楽しい?と聞きたい」。意外な言葉が返って来て、戸惑いを隠せない。沈黙が少し流れた後、愼さんはその理由について語り始めた。
「あの人、事件前に衆院議長に手紙を送っているでしょ。自分の思想を誰かに認めてもらわないと、自分の正当性を担保できない人生なんて楽しいのかなと」
愼さんは、一つの仮説を立てる。障害者を殺すことが自分の中で正しいと思うならば、他人に殺す正当性を求めないとのことだ。
植松被告は事件前の2016年2月14日~15日、東京都千代田区永田町にある衆議院議長公邸を訪れ、大島理森衆院議長に手紙を渡そうとした。その内容は「障害者は不幸を作ることしかできません」と述べ、安楽死を推奨するものだった。また、革命と称し、施設内の障害者を抹殺すると予告した。
手紙を渡すために、衆議院議長公邸に行った植松被告。その行動からは、「自分の考えの正当性を認めてもらいたい」といった背景が見えてくる。自分の正当性を他人に認めてもらいたいといった感情は、我々にもある。むしろ、この感情が肥大化しているのが現代社会といえよう。愼さんは、この点を大きく指摘する。
「他人に正当性を委ねているということは、自分の本心からやりたいことを満足にできていないんだろうと思う。これって逃げているだけ。受け止めなくちゃ。
世界って複雑性を帯びていて、自分の期待通りには決してならないもの。世界と対面すれば、自分の予想や期待は必ず壊され、傷つくことになる。でも、自分の思い通りにはならない世界を受け入れることしかできないんだ。これを繰り返すことが、成長を遂げることであり、実在的に生きるということなんだ」
人生には、思っていたこととは全く違う現実に打ちのめされることが、数多くある。皮肉にも、人は自分の都合の良い現実を想定する。それがある日、世界にあるファクトと異なったとき、ただの勘違いだったと気付かされる。
実在的とはここで、「自分の持っている世界に立て込もるのではなく受け止める。そして再建し、また壊されるという”実際そのようでしか在り得ない”世界の姿」を指す。
インターネットが発達し、他人との繫がりがより身近なものとなった現代社会。傷つくことを恐れ、閉じこもってしまうことがある。自分の中でしたいことが他人に認められたいことにすり替えられてしまっている私たちに刺さる。
「人が実在的に生きることを選択しない限り、このような事件はまた起こるんじゃないかな。おれが見ている世界と彼の世界は別世界だと思う。自分の知っている色で埋め尽くされている世界は、色の数が少ない。鮮やかではない。そんなの面白くないでしょ。
ほら、障害者って絶対に視界に入ることがあるし、もしかしたら明日病気やケガで自分が障害者になってしまうかもしれない。
『障害』を完全に排除することはできないんだ。受け入れなければ、ならない」
枠組みで考えてしまう私たち。 植松をもう一度育てなおさなければならない私たち
先述したように、実在的な世界とは自分のコントロールがきかない世界。この世界こそが、多様性の社会だと話す。そこには無限の「色」が落ちており、それこそが多様性だと愼さんは話す。
「自分が囚われている思考の枠組みが社会によって崩されたときに、世界の色を知ることができる。
世界に飛び込むことこそが、多様性を知ることなんだよ。なのにその本質をいま見失っている気がする」
愼さんが話すには、外に飛び出すことで初めて、人は多様性を理解できるとのこと。私達は、特にマイノリティ側にいる人のことを、この人は「ゲイだ。レズビアンだ」などといった”決められた枠組み”に当てはめてしまう。多様性を理解しようとしているのに、これでは本末転倒となる。固定されてしまう枠組みの中で、物事を考えることは、自動的に「世界へ足を踏み出すこと」を拒絶してることになる。
photo by 板垣聡旨
最後に愼さんは、「この事件を死刑で終わらせてはダメ。植松被告を育てなおし、乗り越えなくてはならない」と話した。この問題を差別以外の別の観点から切り込んだりして、問題を一から捉えなおしたりしなければならないのだ。
「植松被告は間違いなく死刑。だけど彼の思想と向き合い、もう一度植松を私たちで赦し育てなおそう。死刑で終わりではダメなんだ。向き合わなければだめ。差別の一言で、優生思想の一言で終わらせてしまうな」
この件もそうだ。私たちは植松被告を「優生思想」や「ヒトラー」といった枠組みで考えてしまっている。だからこそ、愼さんは「植松被告の主張の背景に目を向けろ」と訴えているのだ。
「”良くも悪くも”今の社会は、不寛容すぎる。最近物騒な事件が多いよね。引きこもりの件とか。大人だって引きこもりたいと思う時もある。その時に、まだ終わりではないよと言える世界を作らなければならない。もし赦しからスタートできないのならば、これ以上言うことはない」
<取材・文/板垣聡旨>
ジャーナリスト。ミレニアル世代の社会問題に興味がある。ネットメディアを中心に、記事の寄稿・取材協力を行っている。