「米軍特権」と「密約」の温床、日米合同委員会という闇

MV-22B Osprey

photo by Lance Cpl. Jorge A. Rosales via DoD

 イージス・アショアの配備が、日本の防衛ではなく、アメリカのハワイ・グアム防衛のための「盾」の役割しか持たないことは当サイトでもたびたび取り上げていたが、日本には「米軍」特権とも言える不平等な「地位協定」がいまだに社会に大きな陰を落としている。  『月刊日本』8月号では、こうした状況について、「不平等条約『地位協定』を抜本改正せよ」という特集を組んでいる。その中から、今回は同誌編集部による論考を紹介したい。

日本に不都合な密約を強いる日米合同委員会

 戦後70年以上経った現在もなお、日本の空は米軍によって支配されている。東京、神奈川など1都9県にまたがる広大な「横田空域」は、米軍横田基地の航空管制下に置かれているのだ。  しかし、横田空域を規定する条文は日米地位協定のどこにも書かれていない。それを規定しているのは、日米合同委員会(以下、合同委員会)における合意なのである。  日本が主権を回復した直後の1952年6月25日、合同委員会本会議で「航空交通管制に関する合意」が承認され、「日本側が航空管制業務を安全に実施できると日米両国によって認められるまでの間は、日本国内の航空管制業務は在日米軍に委任して運用される」と決められた。  その後、日本は航空管制業務を実施する能力を備えた。ところが、米軍は管制権を手放そうとはしなかったのである。1959年5月の合同委員会本会議で承認された合意により、米軍基地とその周辺における管制業務は米軍が引き続き行うことが決められ、「横田空域」はその後も米軍の管制下に置かれてきたのである。  合同委員会は、現在も毎月2回開催されている。1回は、東京都港区南麻布にある「ニューサンノー米軍センター」(通称「ニュー山王ホテル」)で、もう1回は外務省が設定した場所で開催されている。  驚くのは、その構成メンバーだ。日本側が外務省北米局長を代表とし、法務省、農水省、防衛省、財務省などの高級官僚が参加しているのに対して、アメリカ側は在日米大使館員一人を除きすべて在日米軍の高級軍人で構成されている。まさに、米軍の意向を直接日本にぶつける場なのである。  「米軍の軍事的要請が全てに優先される」という日米関係の本質的構図を象徴するものだ。この歪な構図は、米国務省の関係者からも批判を受けてきた。例えば、駐日公使を務めた国務省のリチャード・リー・スナイダーは、以下のように記している。  「日米合同委員会のメカニズムに存在する、米軍司令官と日本政府の関係は、きわめて異常なものです」「日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接的関係が、いまだにつづいている」(末浪靖司『機密解禁文書にみる日米同盟』)  しかも、会議の内容は厚い秘密のベールに包まれ、ほとんど公表されることがない。吉田敏浩氏は〈日米合同委員会は…日本占領管理下での米軍の特権を、占領終結後も外観を変えて「合法化」し、維持するための法的構造をつくりだす、一種の「政治的装置」として誕生した〉と書いている(『「日米合同委員会」の研究』)。

「『征服された東洋人』に裁判権は認めない」

 米軍の軍事的要請は、地位協定の前身である行政協定締結過程においても、決定的なファクターだった。  行政協定締結交渉において、日本側は「アメリカ側の裁判権は、米軍関係者が米軍基地内で犯罪を起こした場合や基地外でも公務中だった場合に限る」ことを協定に盛り込むことを要望していた。  しかし、講和条約調印直前の1951年8月8日に統合参謀本部は、「米兵・軍属とその家族に関する日本の裁判権は一切認めない」とする立場を示したのである。しかも、その理由として、朝鮮戦争中であることとともに、日本人が「征服された東洋人」であることを挙げていたのである(山本章子『日米地位協定』)。  これに対して国務省は、占領時代と何一つ変わらない特権を求める統合参謀本部の考えに反発し、NATO軍地位協定と同等の裁判管轄権を日本に認める方針を示していた。トルーマン大統領もその方針に同意していた。しかし、1952年4月28日に発効した行政協定では、1953年にNATO軍地位協定が発効するまでの間は、米軍関係者の犯罪に関する刑事裁判権は日本側に一切許されなかった。そこで日本は、1953年4月に裁判管轄権を定めた行政協定17条修正を求めて再交渉することをアメリカに申し入れた。  しかし、これより先、1953年1月にはトルーマンに代わりアイゼンハワーが大統領に就任していた。その直後、統合参謀本部は、「NATO加盟国以外と締結する地位協定では、アメリカだけが米軍関係者に対する裁判権を持つようにすべきだ」と国防長官に要請したのである。トルーマン大統領の決断を覆そうとする要請である。その結果、アメリカは日本に対して、NATO軍地位協定から逸脱した行政協定修正案を示してきた。そこには、①「アメリカ側が一次裁判権を持つ公務中の米兵・軍属の犯罪について、公務中か否かの判断は米軍が下すこと」、②「米兵・軍属の家族による犯罪に対してもアメリカが裁判権を持つこと」が盛り込まれていたのである。  結局、日米の交渉の末、①については「米軍が提出する公務中の証明書を日本側が証拠として採用する」ことで合意し、②は撤回させることができた。こうして、地位協定には、「日本国の当局は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族に対し、日本国の領域内で犯す罪で日本国の法令によつて罰することができるものについて、裁判権を有する」と書き込まれた。  しかし、この地位協定通りには日本は裁判権を行使できない。そのカラクリこそ、日米合同委員会なのである。1953年10月に開かれた日米合同委員会で、「日本にとっていちじるしく重要な事件以外は裁判権を行使しない」との密約が結ばれていたのである。
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日本が獲得した権利を形骸化した「日米地位協定合意議事録」
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月刊日本2019年8月号

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