しかし、この雨傘運動の時と、今回の逃亡犯条例の反対運動の参加者には、ひとつだけ見た目の違いがある。それはあの時に運動のアイコンとなっていた黄色い傘が見られなくなり、代わって、デモ参加者の若者が皆一様に黒のTシャツを着ていることだ。この変化について、これまでほとんど指摘されていない重要な意味合いがあるのに気づいた人は日本ではどれくらいいるだろうか。
黒いTシャツを着ている抗議活動者の何人かにその服の意味を聞くと、SNSなどで回ってきた情報で黒い服を着ることを推奨されていたからだという。それがどこの誰が仕掛けたものかはわからない、とも。今回の運動は雨傘運動の時とは違い、指導者はいないと言われているが、それをそのまま信じるのはナイーブだろう。雨傘運動では、その主催グループはことごとく何らかの政治的な迫害をされており、その危険を避けるために、中心を持たない運動とされていると考える方が妥当だろう。その中に恐らく、黒のTシャツの意味合いをわかっているものがいる。
「ブラックブロック」と呼ばれる政治運動の形態がある。もともとは黒はアナーキストのシンボルカラーである。60-70年代に新左翼の運動が高揚したのは日本だけではなく、欧州でも日本以上に大きな流れとなった。しかし、それらは日本と同じく先鋭化するに従ってことごとく自滅していった。そこから左翼運動はいったんは議会制民主主義のなかで世論を踏まえたスタイルに落ち着くか、または市民運動のスタイルに転換していったのである。
ブラックブロックというのは、この2つのどちらにも当てはまらない政治運動のスタイルで、その多くは
直接行動主義であり、政治的な争乱が起こるときに現れる。そして、テロリズムまではいかないまでも、暴力的な行動を起こすことがある。そして彼らのシンボルは黒のシャツである。
12日の争乱を筆者は現場で取材していた。今、警察が催涙ガスのみならず、直接デモ隊を狙った暴徒鎮圧用の「銃」(と言っても殺傷能力はほとんどない、ゴムや小さな詰め物を弾にするもの)を発射する現場にもいたし、学生が警察に囲まれて組み伏せられる場面にもいた。確かにこれはやりすぎであろう。しかし、筆者は4年前の雨傘運動の時もオキュパイの現場にいたのだが、かなり今回は状況が変わっていることを指摘せざるを得ない。あの時、非暴力の象徴であった傘は今回は「武器」に変わっているのだ。