カネカ騒動に思う、「自己犠牲」を求める企業の古さ。制度があっても退職が後を絶たないのはなぜか

共働き世帯を前提としない労働環境

 今回のカネカの騒動においては、育休直後の異動命令が育休を取得したことへの当てつけのように見られている。そう受け取られても仕方がないことだと感じるが、そもそも「全国転勤あり」という職制自体が、現代の共働きの働き方にマッチしていないことがわかる。  会社としては、育休・産休という制度を充実させ、それを活用させ、かつ「全国転勤あり」という職制であることは示していたはずだ。その制度や労働条件を盾にして、実態としては退職に追い込むこととなったわけだが、これでは共働きの夫婦に対して、「夫婦両方が働くこと」と「子どもを持つこと」を天秤にかけろ、どっちにするか選べ、と言っているようなものだ。いったい、育休・産休の制度は、何のためにあるのだろうか?

会社に対して自己犠牲と忠誠を誓って働く時代は終わった

 こうした事例は、珍しくない。今回は男性側が退職に追いやられたケースであったが、出産直後に転居を伴う異動を命じられる、別居が強いられる、退職を余儀なくされる、といった事例は幾度となくあったはずだ。そのたびに、「そういう決まりだから」「会社の命令だから」と涙を呑んで我慢した夫婦が多いと思う。  共働きが当たり前になった今、これまでのようなことはまかり通らないということは明白だ。企業側は、制度を整えることや、政府が掲げる数値目標をクリアすることに注力するのではなく、そもそも共働きを前提としたものとなるよう労働環境を見直すこと、そして労働者側は、制度が充実しているかどうかだけではなく、実態の伴った労働環境が整っているかどうかを厳しく見極める必要があるだろう。  社員が会社に対して多くの自己犠牲を払い、忠誠を尽くさなければ成り立たないという時代は終わりに向かっていると感じる。企業はもう、そうした社員の忠誠心に甘えることはできなくなるだろう。「働くこと」と「子どもを持つこと」を選ばされるような自己犠牲の文化は、もはや許されるべきでない。 <文/汐凪ひかり>
早稲田大学卒業後、金融機関にて勤務。多様な働き方、現代社会の生きづらさ等のトピックを得意分野とし、執筆活動を行っている。
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