外国人労働者受け入れの増加に対し、日本語教師の拡充は急務だ
改正入管法の施行により、外国人労働者の増加が見込まれる中、外国人への日本語教育の需要が高まると予測される。そのような中、「日本語教育現場の実情」を筆者の体験や現役教師の話をもとに紹介する。
5月中旬に配信した記事では「外国人がつまずく日本語」について紹介したが、今回は「日本語教師という仕事」について綴ってみたい。
日本語教師が面と向かってよく言われるのは、「英語が堪能なんですね」という言葉。そして、陰でよくなされるのは、「母国語である日本語を教える楽な仕事」という誤解である。
日本語教師になるのには、今のところ、国内の小中学校・高校で働く教師らが保持する「教員免許」や資格などは必要ない(現在、国が日本語教師の公的資格の創設を検討しているところだが、現時点では何も決まっていない)。
こうした曖昧なステータスや基準が、日本語教師の軽視や薄給、スキルのムラに繋がっていることはさておき、つまるところ「日本語を教えたい」、「異文化に触れたい」と思えば、現在は誰でも“日本語の先生”にはなれるのだ。
しかし、日本語を教えるノウハウを学んだことのない人に、例えば「食べて」と「飲んで」がどうして「て」と「で」になるのかを、初級レベルの外国人に日本語で説明できる人はほとんど存在しない。
そのため、国内にある大概の語学学校は、「日本語教師養成講座420時間の修了者」か、「大学での日本語教育専攻・副専攻課程の修了者」、「日本語教育能力検定試験の合格者」のいずれかでないと、教師として雇い入れていないのが実情である。
ちなみに筆者は、420時間の日本語教師養成講座を20代半ばで受講・修了し、父親の工場で働く合間に、複数の語学学校で断続的に7年ほど「非常勤講師」として働いていた。
一般的に、語学学校の日本語教師には「専任」と「非常勤」が存在し、その割合は圧倒的に非常勤が多い。
非常勤のほうが多くなる理由はいくつかあるが、入学してくる学生数が、時期やレベルなどで毎度大きく変わるため、学校にとって割り当ての調整がしやすいことが最も大きな要因として挙げられるだろう。
留学生を受け入れている日本語学校では、1つのクラスを数名の教師で担当することが多い。
学生にできるだけ多くの日本語話者と触れ合わせることで、「1人の日本語教師の意見=日本の意見」になるのを防ぐのだ。
こうした工夫は、学生にとっても教師にとってもメリットが多い一方、教師間の「引継ぎ」業務が煩雑になるというデメリットもある。
これは、日本人に多い「真面目で細かな性格」あってこそ成せる技なのだが、国内のほとんどの日本語学校では、各クラスの1学期分の授業内容が、授業数などによってあらかじめ大変細かく組まれる。
さらに、知らない単語や文法を授業中に使うと、学生が混乱するという配慮から、原則的に教師は、前回の授業までに学生に導入した単語や文法のみを使って、次のクラスを進めていかねばならないという日本語教育業界独特のルールがあるのだ。
こうした中、「引継ぎ」業務が煩雑になるのは想像に難くないだろう。
翌日の授業を担当する教師のため、授業後に記入する「授業報告書」には、教えた単語から欠席した学生、使用した例文や各学生の反応までもがぎっしりと書かれるのが常。
一方、その報告書を受け取った翌日担当の教師は、授業時間と同じくらいか、時にはそれ以上の時間を費やして、授業準備をする。導入済みの単語や文法のみで授業を進められるよう、「教案」を完璧に仕上げて「本番」に臨むのだ。
筆者は過去に韓国とアメリカの語学学校に在籍し、他国の語学学校の様子を取材したことがあるが、この「連携プレイ」ができるのは、やはり世界でも日本の語学学校だけだと胸を張って言える。