政治にも影響する「宗教団体」。その実力は?<小川寛大vs菅野完 対談>

明治神宮

令和初日、御朱印を求める人が殺到した明治神宮 photo by Masa / PIXTA(ピクスタ)

 神社本庁や日本会議、創価学会、幸福の科学など、宗教団体が話題になることが増えている。彼らは政治に大きな影響を与えていると言われているが、その実力はどれほどか。そもそも宗教はどのような役割を果たすべきなのか。  保守系オピニオン誌『月刊日本 6月号』に掲載された、『宗教問題』編集長の小川寛大氏と、『日本会議の研究』(扶桑社)の著者である菅野完氏の対談を紹介したい。

神社本庁は安倍政権を操っているか

小川寛大氏(以下、小川):令和初日、明治神宮に御朱印を求める人たちが殺到し、10時間待ちの行列ができたと報道されています。神社には人々を惹きつける力があるということに、改めて気づかされました。  今回のように日本人が神社に寄せる思いを「政治力」に変えようと活動してきたのが神社本庁です。『神社本庁とは何か』(ケイアンドケイプレス)の中に詳しく書きましたが、神社本庁とは日本全国にある約8万の神社が加盟する統括組織で、いわば神社の家元です。1946年に設立され、以来70年以上にわたって活動を続けてきました。  こう言うと、神社本庁が巨大な力を持っているように見えるかもしれませんが、そうではありません。  たとえば、神社本庁の関連団体に神道政治連盟という組織があります。彼らは神社本庁の事実上の政治部門です。神道政治連盟は参院選で全国比例区から出馬する候補者に推薦を出していますが、彼らの集める票数は20万ほどで幸福実現党にも及びません。神社本庁の過去の取り組みを見ても、彼らがやろうとしてきたことには失敗も多い。  明治神宮に御朱印を求めて集まった人たちにしても、政治的な考えで集まっている人は1割以下でしょう。神社本庁は政治的にはあまり成果を出せていないというのが実際のところです。 菅野完氏(以下、菅野):小川さんがご著書の中で神社本庁の力はそれほど大きくないと書かれていたように、僕も『日本会議の研究』の中で、組織の力・数の力という意味においては、日本会議の力はそれほど大きくないという点を強調しました。  神社本庁や日本会議に幻想を抱く人が多いのは、30年前の創価学会のイメージと重ねているからだと思います。神道政治連盟自身、自分たちは創価学会と同じことができると思い込んでいます。  しかし、当時の創価学会は卓絶した存在であり、他の組織が真似できるものではありません。現在の創価学会にしても、30年前と同じことはできません。ましてや創価学会の100分の1程度の力しかない神道政治連盟に、そんなことは不可能です。 小川:もともと神道には確たる教義も教祖もなく、「これこそが神道的な政治思想だ」と言い切れるものもない。神社本庁の幹部たちに、たとえば「神道の教えの中に『改憲しろ』とでも書いてあるのか」と尋ねても、明確な答えは返ってこないと思います。  はっきり言ってしまえば近代以降、神社界はその時々の流れに乗ってきただけです。戦前の場合は国家を強くしようという時流に乗り、戦後の場合は自民党に乗りました。それはいまも変わっていません。そういう意味では、一部で言われているような、神社本庁が安倍総理を操っているといった事実はありません。 菅野:そう思います。世の中は複雑であって、ブランデーを片手にシャム猫を抱きながら、「安倍君に電話しといたから」などという黒幕はいません。そうした幻想は捨てるべきです。

スピリチュアルムーブメントの拡大

菅野:明治神宮に御朱印を求める行列ができるといったことは、前回の改元のときには起こっていません。最近では改元に限らず、神社は「パワースポット」として多くの参拝客を集めています。こうした状況を受けて、日本の右傾化が進んでいるとする見方もありますが、これは右傾化というよりも「自己啓発化」、あるいはスピリチュアルムーブメントと言ったほうがいいと思います。そしてスピリチュアルなものが社会に横溢することのほうが、実は、右傾化よりも社会としては厄介だったりします。  スピリチュアルムーブメントは自然食ブームや断活など、自分自身をピュアにしようとする運動です。神社で御朱印をもらって自分が綺麗になったと思うのは、まさにスピリチュアルです。  スピリチュアルが流行るときはたいてい不景気のときです。初期の生長の家にはスピリチュアルムーブメントとしての側面が強かったのですが、生長の家の創始者・谷口雅春の主著『生命の實相』が広く読まれたのは、昭和恐慌の真っただ中でした。 小川:神社のパワースポット化については、神社本庁の幹部たちは必ずしも肯定的ではありません。ただ、特に深い考えや確固たる信念があるのではなく、単に年配だからパワースポットというものがよくわからないだけだとは思うのですが。 菅野:神社本庁の側は最近のスピリチュアルブームをうまくつかみきれていませんね。 小川:宗教がスピリチュアルムーブメントをうまくつかめないのは、個人主義が強くなっていることとも関係していると思います。  たとえば新興宗教でも、一昔前のオウム真理教などは、指導者のもとで厳しい修行をして俗世を断つといったように、悟りを得るためのシステムやカリキュラムがありました。しかし、いま流行しているものは、それとは違ってかなり「ゆるい」ものです。せいぜい小規模なセミナーに参加するくらいで、一人でやろうと思えばできるものばかりです。キーワードは「個人でお手軽にできる」です。  これは日本だけに限った話ではありません。ヨーロッパではイスラム教が影響力を拡大していますが、イスラム教には聖職者はおらず、お寺の檀家のように所属先もありません。二人のムスリムの前で信仰告白をすればすぐイスラム教徒になれますし、旅先でムスリムに会えば、大した証明もなく受け入れてもらえます。最近ではコーランもスマホで読む人が多くなった。  日本ではイスラム教はテロのイメージと結びつけられているため、狂信的な宗教と思われがちですが、意外とゆるい側面があるのです。日本でイスラム教が流行るかどうかはわかりませんが、ミャンマーやスリランカ、インドなど、アジアでも勢力を拡大していることは事実です。
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力を失った創価学会
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月刊日本2019年6月号

特集1【米中の狭間で、どうする日本!】
特集2【すわ! 衆議院解散か】
特集3【天皇あやふし】
【特別対談】崩壊の危機にある宗教団体