話題のキンコン西野氏による近大卒業式「時計」スピーチが孕む危うさ。問われる近大の良識

マルチ商法と自己啓発セミナー

 マルチ商法とは、商品を購入する会員自身が販売も行い、他人を勧誘して自分の下につく販売員とすることで、上の者が下の者による売上からマージンを得るビジネスだ。より多くの販売員を勧誘し、下部販売員たちが売上を出せば出すほど上の者が儲かる。  しかし下っ端が上を目指して頑張ってくれないことには、上の者も儲からない。そのためか、マルチ商法の世界では様々な「自己啓発」文化が生まれた。いま風に言うなら「やりがい詐欺」化である。  その中で70年代、「自己啓発セミナー」が誕生し、80年代に社会的なブームとなった。マルチ商法のセールスマン研修を、「自己実現を果たすための心理学テクニック」として、マルチ商法とは関係がない一般の人向けに提供するビジネスだ。アメリカで生まれ、70年代に日本に上陸してきた。  マルチ商法会社「ホリディ・マジック」のセールスマン研修を請け負っていたアメリカ人が1977年に設立した「ライフ・ダイナミックス」が、日本初の自己啓発セミナー会社だ。一説には、ピーク時の80~90年代、同じような内容のセミナーを開催する会社が日本だけでも大小100以上あったと言われる。多くが、ライフ・ダイナミックスの内容を模倣したものだった。  1999年に千葉県成田市で「ミイラ事件」を起こしたライフスペースや、X JAPAN のTOSHIが広告塔となり2004年に児童虐待問題を起こした「ホームオブハート」も、その1つ。90年代に業界全体が斜陽産業化するなか、「カルト化」したケースだ。  自己啓発セミナーが単独のビジネスとなった後も、マルチ商法関係者が自己啓発セミナーに販売員を送り込み「研修」させるということが行われてきた。これは現在も変わらない。2010年には、日本で最初に創設された自己啓発セミナー会社(2000年に解散)の残党が経営する「ASKグローバル・コミュニケーション」(現ASKアカデミー)という会社のセミナーで受講生が死亡する事故が起きた。受講生は、当時、マルチ商法会社「ニューウェイズ」(現モデーア)の販売者集団「ワンダーランド」のメンバーだった。  「ワンダーランド」は、販売員をマンションの一室で共同生活させながら勧誘活動などに従事させる過激な集団だった。その販売員を教育しやる気を出させるために利用していたのが、ASKのセミナーだった。  自己啓発セミナーでは会議室などで数日間、缶詰状態になって、講師や他の受講生が受講生を罵倒したり褒めちぎったり、「お父さん、お母さん」などと大声で泣き叫んだり、互いにハグをしたり、日常生活では起こりえないほどの異常な興奮状態にさせられる。短期的にハイテンション状態にするというだけでも、マルチ商法の販売員研修としてちょうどよさそうだ。前述のように、そもそもそのために作られたものだ。

自己啓発セミナー流の「たとえ話」

 自己啓発セミナーではロールプレイのようなゲームやレクチャーも行われ、そこでは様々な「たとえ話」が用いられる。オーソドックスなものに、「コップの中の蚤」の逸話がある。コップの中に蚤を入れて蓋をすると、ジャンプした蚤は蓋に当たってコップの底に落ちる。これを繰り返すうちに、蓋を取り外しても蚤は蓋があった高さまでしかジャンプしなくなる、というのだ(実際に蚤にそのような生態があるのかどうかは不明)。  人はみな、失敗を恐れ自分の能力を出しきれなくなっている。コップに蓋がないことに気づけばもっと高くジャンプできる。そんなメッセージを込めた、たとえ話だ。もともとの出処は不明だが、いまでは学習塾の講師までブログなどに同じ話を書いているほど広く普及している。  近大での西野氏のスピーチに違和感を抱くような人であれば、このたとえ話にもツッコミを入れたくなるだろう。「蓋があった位置より高く飛べるのは、もともとそれだけのジャンプ力を持っている者だけ。能力差を無視したたとえ話だ」「オレたちは蚤じゃない。学習能力を持った人間だ」と。  しかし自己啓発セミナーは、「誰もがみな可能性を持っている」という思想に基づいている。だから何十万円もするセミナーで「あなたも自己啓発できますよ」と勧める。ここでは誰もが「本来は(セミナーを受けて自分を変えれば)高くジャンプできる蚤」なのだ。  宗教、中でも信者や家族の人権すら脅かされるほどの過剰な「信仰」を信者に要求する「カルト」のありようを揶揄する言い回しに、こんなものがある。 「いいことがあれば教祖や信仰のおかげ。悪いことがあれば、それはお前の信仰が足りないせい」  自己啓発セミナーやマルチ商法も理屈は同じだ。誰しも本来、能力や可能性がある。正しく努力すれば必ず報われる。このポジティブな精神論は、裏返せば「報われないのは、お前自身が間違っているから」という「心の自己責任論」だ。  実際、筆者が取材した自己啓発セミナーの元幹部は、セミナーを受けても効果がないなどの受講生からのクレームに対して、「それはあなたの問題だ」と繰り返すだけだったと語る。誰もが可能性を持っているが、セミナー受けても可能性が開花しないのはセミナーのせいではなく受講生のせい。問題の原因をすり替えて個人に帰する自己責任論だ。 「必ず報われる」という動かぬ前提。現実に対応しない抽象的なすり替えの「たとえ話」。西野氏のスピーチは、こうした自己啓発的な思想や「心の自己責任論」そのものと言っていい。
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問われる近大の教育機関としての良識
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