Chance!!掲載の、経営者からのメッセージ
三宅さんは1971年生まれ。中学時代からはいわゆる非行少女だった。万引き、喫煙、飲酒、無免許でのバイク運転、幾度もの家出とケンカ。なぜそうなったかの理由は本人も分からない。当時は大人という大人に反発したという。
滑り込みで高校に入学しても、学校には行かなかった。彼氏との同棲先からバイト先に通う毎日に、わずか5か月で退学処分を受ける。
転機は、バイト先に現れた父と食事をした時だった。「読んでごらん」と渡されたのがデカルトの
『方法序説』。これが何度目を通してもまったく理解できない。普通ならそこで諦める。だが、なぜか三宅さんはそこで逆転の発想をした。
「じゃ、大学で勉強すれば読めるようになるのでは」
受験勉強を始め、23歳で早稲田大学第二文学部に入学。卒業後は貿易事務や大手情報通信系企業で働くという、まっとうな道を歩くことになる。わけあって2014年に退職するが、そのときに今後の人生のビジョンを描いた。
「人が好きなので、人材育成の仕事をする」
三宅さんはこう振り返る。
「そこで、どういう人たちを育成するかを考えたとき、
『生きづらさを抱える人たち』を対象にしようと思いました。そのためには、事業開始前に実際にそういう人たちに会っておこうと、あちこちを訪ね歩いたんです」
三宅さんは、自立援助ホーム(15歳から20歳までの家庭のない児童が入所して、自立を目指す施設)や受刑者支援の組織でボランティアを経験する。
「そこで初めて、非行歴や犯罪歴のある人の社会復帰がなんと難しいのかを知りました。出所しても家もない。だから仕事もできない。少ない所持金を使い果たすと、あえて微罪を犯して刑務所に戻る。その事実にショックを受けました」
とはいえ、このときは「国が何とかすればいい」と思う程度で、自ら具体的行動はとるなど想像もしなかった。
運命を決定づけたのは2015年4月。奄美大島の養護施設で出会っていた17歳の少女から手紙が来た。少女には両親がいるのに人生のほとんどを施設で過ごしていた。三宅と親しくなった少女は施設を出たあと、非行に走り少年院に入った。手紙は少年院での日常を綴ったものだった。
三宅さんは直感した。「この子は出院してもまた悪いことを繰り返す」。
手紙には「私に行き場がなくなったら、親が迎えに来てくれるかな」といった必死に居場所を探す願いが見えた。三宅さんは夫の同意を得て、少女の養子縁組を決める。
「そして考えたのは、どんな環境が彼女にいいかということでした。もし私が出所者などを支援する事業を興して彼女を雇用すれば、彼女は同じような境遇の人に親身になるに違いない。彼女は過去を隠さなくていいどころか、過去は過去として輝くと思ったんです」
2015年7月19日。三宅さんは彼女の誕生日にヒューマン・コメディを登記した。毎年、その日になると「生まれてきてくれてありがとう」と伝えるために。
だが少女は、いざ東京の三宅家で暮らし始めるとすぐにSNSで知り合った少年と知り合って同棲を始め、自ら家庭裁判所に「養子縁組はしない」と伝え、親子関係は短期間で終わった。三宅さんは
「彼女に求めすぎた」と反省するが、今も付き合いは続いている。