とはいえ、『キングダム』が「スタートアップ企業の成長物語」もしくは「新しい働き方」を無条件に投影しているかというと、必ずしもそうではない。
信をはじめ、主要キャラクターたちは皆、
信義と忠誠を過剰に大事にする。秦国のライバルである趙の名将・李牧に至っては、驚異的に仕事ができるにもかかわらず、無能な上司に忠誠を誓わざるを得ない。その姿は中間管理職の悲哀そのものだ。組織や人への忠誠心を美徳とするのは極めて昭和的なマインドで、むしろドライで冷静な島耕作のほうが外資系ビジネスマンに近く、先進的な労働倫理の持ち主という感じがする。
更に言うと、本作は
HRM(ヒューマン・リソース・マネジメント)意識において、昨今の「働き方改革」と思いきり逆行している。戦記ものなので当然といえば当然なのだけれど、労務管理がとにかくブラック。現場が劣勢でも本部が敢えて援軍を送らず、意図的に現場を壊滅させたりする。現場が無謀な突撃を求められる場面も多く、火事場のクソ力で奇跡的にリカバーする、という過重労働が繰り返される。
極めつけは「無駄死にも勝利のための尊い犠牲」というセリフ。
電通の社訓「鬼十則」にあった
「取組んだら放すな! 殺されても放すな! 目的を完遂するまでは」にも通じる非人間性を孕んでいて、過労死を想起してしまう。電通が社員手帳から「鬼十則」を削除したように、労働者の精神的・肉体的健康を尊重する働き方に社会全体がシフトしているなかで、それとは真逆のベクトルに退行しているともいえる。
しかし、こうした古い労働倫理を一部に残していてもなお、本作が熱狂的な共感を得ているのは、
「変化の時代」を生きる人を奮い立たせるポジティブな熱量が詰まっているからだ。
ある調査によると、キングダムの中心読者層は30代~40代であり、いわゆる就職氷河期世代と重なる。失われた20年の真っただ中に社会に放り出され、自分の力でサバイブすることを余儀なくされ、今更のように国から人生再設計を押しつけられる世代。そんな彼らにとって『キングダム』は、自分の手で新しい時代の舵をきるよう勇気づけてくれるアジテーションでもあるのだろう。
実写版映画では、政の異母弟である成蟜(せいきょう)が謀反を起こして政と対立する「王都奪還編」が描かれる。成蟜は、母親が庶民である政のことを忌み嫌い、王族の純血主義を叫ぶ。その歪んだエリート意識は、世襲の御曹司や大企業正社員の持つ特権意識と重なり、そうした古い因習を打破しようとする政と信の姿は、氷河期世代の心境にも重なるものがある。
原作漫画のなかで、信の師匠的存在である大将軍・王騎(おうき)はこう語る。
「いつの時代も 最強と称された武将はさらなる強者の出現で敗れます
しばらくその男を中心に中華の戦は回るでしょう……
しかし
それもまた 次に台頭してくる武将に討ち取られて
時代の舵を渡すのでしょう
果てなき漢(おとこ)共の命がけの戦い
ンフフフ 全く
これだから乱世は面白い」
団塊世代の『島耕作』から氷河期世代の『キングダム』へ、時代の舵は渡されようとしている。
<文/真実一郎>
【真実一郎(しんじつ・いちろう)】
サラリーマン、ブロガー。雑誌『週刊SPA!』、ウェブメディア「ハーバービジネスオンライン」などにて漫画、世相、アイドルを分析するコラムを連載。著書に『
サラリーマン漫画の戦後史』(新書y)がある
サラリーマン、ブロガー。雑誌『週刊SPA!』、ウェブメディア「ハーバービジネスオンライン」などにて漫画、世相、アイドルを分析するコラムを連載。著書に『サラリーマン漫画の戦後史』(新書y)がある