前述の手紙本3点に収録された執筆者の言葉を拾ってみよう(※年齢はいずれも刊行当時のもの)。
「家の中が地獄でも幸せな子を演じていた」という44歳の女性は、子どもの頃に父の残飯だけを食べさせられていたことや、兄による性的虐待を両親に黙認されていたことなどを、父親が死ぬ間際に「35年かかってはっきり思い出した」と書いている(1998年版)。
51歳の女性は、40代に入ってから夫の勧めで心理療法を受けてから親への疑念が噴出。「子どもの頃は恐怖と不安で自分の心の声に気づけなかった」と告白している(2017年版)。
49歳の女性は、小3の頃に家に来た養父から性的虐待を受けた。だが、「あれから30年以上が経って、あれが性虐待だったと自覚」した。
「初めて人に話すことにしました。そのシーンは何度も思い出されたのに、けっして話してはいけないと思って生きて生きたのです」(2017年版)。
子どもの頃に父から「体が吹っ飛び、目の前が真っ白になる」ほど平手打ちされていたという36歳の女性は、「何も問題のない良い子」と呼ばれながら高校を卒業したが、27歳の時に職場の人間関係のトラブルがきっかけで重い不眠症になった。
「うつ状態の苦しみから自殺まで考えるようになった。その時になって初めて自分の中にある父への不満の大きさに気づいた」(1997年版)
つらすぎる記憶を頻繁に思い出していては、日常生活が立ち行かなくなる。虐待されると、その痛みに向き合うだけではつらすぎるのだ。
だから、心を守るために特定の記憶を思い出せなくなったり(=健忘)、自分の感情が感じられなかったり(=離人感)、夢の中にいるように感じるなどの「解離」を起こす。このことは精神医学では良く知られているが、虐待の自己認知を難しくさせる一因といえるだろう。
「子ども虐待なんて自分には関係ない」と思っている人でも、残酷な記憶から逃げ続けていることもあるのだ。
<文/今一生>
フリーライター&書籍編集者。
1997年、『日本一醜い親への手紙』3部作をCreate Media名義で企画・編集し、「アダルトチルドレン」ブームを牽引。1999年、被虐待児童とDV妻が経済的かつ合法的に自立できる本『完全家出マニュアル』を発表。そこで造語した「プチ家出」は流行語に。
その後、社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの取材を続け、2007年に東京大学で自主ゼミの講師に招かれる。2011年3月11日以後は、日本財団など全国各地でソーシャルデザインに関する講演を精力的に行う。
著書に、『
よのなかを変える技術14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)など多数。最新刊は、『
日本一醜い親への手紙そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO)。
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今一生のブログ
フリーライター&書籍編集者。
1997年、『日本一醜い親への手紙』3部作をCreate Media名義で企画・編集し、「アダルトチルドレン」ブームを牽引。1999年、被虐待児童とDV妻が経済的かつ合法的に自立できる本『完全家出マニュアル』を発表。そこで造語した「プチ家出」は流行語に。
その後、社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの取材を続け、2007年に東京大学で自主ゼミの講師に招かれる。2011年3月11日以後は、日本財団など全国各地でソーシャルデザインに関する講演を精力的に行う。
著書に、『よのなかを変える技術14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)など多数。最新刊は、『日本一醜い親への手紙そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO)。