過失がなくても、まず逮捕。加害者になりやすいトラックの悩み

トラックドライバーを救うのは「信頼の原則」

 無論、「逮捕=有罪」というわけではない。  過失がないと認められれば「信頼の原則」のもと、不起訴になる場合がほとんどだ(「信頼の原則」についてはまた改めて紹介するが、簡単に説明すると、「相手が交通秩序に則った行動をとると信頼できる状況にもかかわらず、その相手の不適切な行動によって事故が生じた場合、自身は責任を負わない」、とする考え方である)。  しかし、やはり「逮捕された」という事実は本人にとってインパクトが強く、また、たとえ「避けられない事故」、「自身に過失のない事故」だったとしても、自分が運転していたクルマが人を傷つけたり命を奪ったりすれば、精神的ダメージを受けるのは必至。  いや、むしろ自分に明確な過失があった時よりも、過失がなかった時のほうが己の行動を反省できない分、その心の傷は深くなるかもしれない。  苦しい思いをしているのだろう、実際、筆者のもとにはこうした「加害者という名の被害者トラックドライバー」から懺悔のようなメールがやってくる。  また、ニュースになった場合、メディアによっては過失のある歩行者や自転車は匿名で報道される一方、トラックドライバーは実名報道されることもある。いずれにしてもその事故でドライバーの人生が大きく変化することは間違いない。

「僕は死にません」はトラックドライバーからすると大迷惑

 余談になるが、昔人気を博した某恋愛ドラマ内で、主人公の男性が走行中のトラックへ飛び込み、「僕は死なない」と愛の告白をするシーンがあったが、真面目な話、あれが現実にあった場合、トラックドライバーからすれば、心の底から「よそでやれ」である。  あれで彼が轢かれなかったのは、決して彼の「愛の強さ」でも「運の良さ」によるものでもなく、「ドライバーの腕の良さ」以外の何ものでもない。もしあのトラックが満載だったら、主人公は確実に命を落としている。  筆者含め多くのトラックドライバーたちは、あのシーンがテレビで流れるたび、毎度そんなことを思ってしまうのだ。 「免許携え走っているトラックや乗用車が、交通弱者である我々歩行者や自転車を轢くはずがない」と思ったら大間違いだ。  歩行者やサイクリスト(自転車に乗る人)は、道路の安全は、決して自動車だけが作り上げるものではないこと、交通ルールを犯せば、自分だけでなく他人の人生をも大きく変える可能性があることを是非肝に銘じてほしい。  一方のトラックドライバーや一般ドライバーも、周囲の道路使用者がルールを守るとは思い込まず、ハンドルを握る間は常に緊張感を持って運転してほしい。 【橋本愛喜】 フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。日本語教育やセミナーを通じて得た60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流をもつ。滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を元に執筆中。
フリーライター。元工場経営者、日本語教師。大型自動車一種免許取得後、トラックで200社以上のモノづくりの現場を訪問。ブルーカラーの労働環境問題、ジェンダー、災害対策、文化差異などを中心に執筆。各メディア出演や全国での講演活動も行う。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書) Twitterは@AikiHashimoto
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