福島ユナイテッドFCとシリア難民が共鳴した「復興への思い」

福島ユナイテッドには、事故収束の見えない福島をまとめていく力がある

会津で赤べコづくりを学ぶシリア人、リームさん

会津で赤べコづくりを学んだシリア難民、リームさん

 福島原発事故から8年が過ぎた。いまだに3万2631人が県外に避難している。原子炉から溶け落ちた核燃料デブリの取り出しにめどがつかず、廃炉には40年かかるという。汚染水はたまる一方。小児甲状腺がんにも233人が罹患している。  しかし避難指示は次々と解除されている。原発が立地する大熊町は全町避難が続いていたが、帰還困難区域以外の避難指示が4月10日に町面積の約4割が解除された。 「オリンピックまでに」という期限をつけて復興を急ぐ政府や財界は、さらに海外に原発輸出することまで考えていて、「全く問題はない」という。 「子どもたちの安全は?」とそれに待ったをかける慎重派。推進派は「風評被害を広めるな」とさらに応戦する。今もそんな構図が福島のあちこちで見て取れる。悲しいのは、原発に全く関係のなかった人々すらいがみ合い、家庭の中でも喧嘩が起きているということだ。  福島ユナイテッドは、そんな福島をまとめていく力を持っている。

「ユナイテッドなくなっちゃうの」。小学生の一言が鈴木社長を奮い立たせた

 2011年、鈴木勇人社長が当時東北社会人リーグ1部だった同クラブを任されて、その直後に震災があった。退団を申し出る選手もいて、その存続が危ぶまれた。  鈴木社長が炊き出しに行ったとき、小学生に質問されたという。 「ユナイテッドなくなっちゃうの」  その一言が鈴木社長を奮い立たせ、チームはJリーグ入り。J3に昇格した。  鈴木社長は「私たちはあの日、あの時を、決して忘れません。当たり前のようにサッカーができる喜びと、これまで支えて頂いた皆様への感謝の気持ちを持って歩み続けます」という。  福島でのサカベコへの関心は高まっている。AXC福島ビル1階の「ユナイテッドサロン」に展示してもらえることになったし、「絵付けをしたい」というサポーターも出てきたた。  開幕戦の前日には、郡山市の中学生たちにも絵付けをしてもらったが、「試合を見に行く」といってくれた子もいた。このつながりが、サポーターを増やすのに貢献できれば素晴らしいと思う。

シリア国内からも「赤ベコ作ったよ!」とメッセージが

 さらに数日後、シリアの首都ダマスカスから福島復興に向けたビデオメッセージが送られてきた。「ボクラ・エルナ」という子ども文化センターで赤べコを作ったという。  筆者は昨年9月にダマスカスを訪問した際、日本からのお土産に赤べコをプレゼントとして持って行ったのだ。イラクやヨルダンのシリア難民には直接赤べコの作り方を教えてきたが、シリア国内にはなかなか入ることができず、指導することはできなかった。そのため、彼らは見よう見まねで作ったという。 「粘土に色をぬったのだろうか?」「首と銅の部分の構造がわからないから、首は動かないだろう」と思っていたが、首もよく動く。粘土で原型を作り、石膏で雌型をつくってシリコンを流し込んだらしい。シリア人の器用さ、コピー能力の高さに改めて驚いた。  しかも、日本語で子どもたちがメッセージを書き込んでくれたのだ。 「日本のお友だちのみなさん シリアの子どもたちから愛と平和を贈ります」  内戦で敵と味方に分かれてしまった子どもたちが再び一緒に活動するのは、それほど簡単ではない。しかし近い将来、一緒に赤べコやサカベコを作ることができたら素晴らしいだろう。福島の赤ベコは今や、遠い中東の地でも復興のシンボルになろうとしている。 <文/佐藤真紀(JIM-NET事務局長)>
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