事故現場に建てられる、供養のためのお地蔵さんには実は複雑な問題が絡む
大規模な災害、世間を震撼させた事件、多くの人が胸を痛めた事故。
社会を揺さぶる騒動の発生した日時には、毎年このような言葉が揺るぎない正当性を持って叫ばれる。
「風化させてはいけない」
この“正論”は果たして、多くの人が“小さな事件”と認識する事案にも当てはまるものなのだろうか。“忘れられる権利”“忘却権”といった概念とは切り離して考えなければならないものなのだろうか――。
道端に祀られる小さなお地蔵さん、祠、石碑といったものについて考えたことがあるだろうか。
その設置には様々な理由と背景があり、よく出会う事例として交通事故で我が子をなくした両親が、あるいは悲惨な事件で親族を亡くした遺族や遺族会が、供養のために祀っているというものがある。
権利関係としては、土地の権利者に分筆といって少しだけのスペースを切り売りしてもらい、そこにお地蔵さんなどを設置したうえで自治体に譲渡というものが多く、その他には個人所有のままというもの、土地と設置物の権利が別々というややこしいもの、設置が古く権利関係が全くわからないというものもある。
そんな詳細不明の設置物では、撤去のために調査を入れてみると重要な史跡であることが判明し撤去が覆されるというケースすらある。
このように実は想像以上に様々な思いと権利が渦巻くお地蔵さん。
とはいえ分かりやすい設置物がある場合は近隣住民も納得しやすいのかもしれないが、道端で見かける花の手向けられた電柱やガードレールには何を思えば良いだろうか――。
交通量が多いながらも道路幅は狭く、さらにバスの往来も頻繁というなかなか危険な都道府県道。そんな道路に面し、細く佇む3階建てが今回の当該物件。
20坪少々と狭い敷地ではあるが小洒落た子ども用遊具に手入れの行き届いた鉢植え、差し押さえ・不動産執行の現場では“珍しい”と思われがちな、幸せそうなお宅だ。
実際にはこのようなお宅も多く、それなりの傾向もある。
収入面の問題または不貞などで追い出された旦那が養育費や慰謝料代わりに住宅ローンの支払いを約束。しかし、押し付けられた100対0という理不尽な過失割合と、決別させられた我が子、細る自身の収入からは無理難題とも思われる支払いにいつしかやる気を喪失。このような流れで旦那が止めてしまった住宅ローン支払いの滞りから、我々がやってくる。
これが最多のケースで、今回も例に漏れることはなかった。とは言え、恒例とは少々異なる部分もあった。