松井・吉村の登場前から難波の歩道を埋め尽くした聴衆。拍手と歓声が自然と湧き起こった
この選挙期間中に、とても興味深い本を読んだ。『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣)。善教将大・関西学院大学准教授が、2011年の前々回ダブル選から2015年の都構想住民投票までの維新に対する有権者の支持/不支持態度を調査し、詳細に要因分析を重ねた大変な労作である。
同書によれば、維新を支持する有権者は、ポピュリストに扇動された「大衆」などではない。橋下が盛んに口にした公務員不信や「改革」への期待(新自由主義的志向)も、橋下個人への評価も、投票行動への影響は大きくなかったという。では、なぜ維新は勝ち続けるのか。それは
「大阪」の利益の代表者だという政党ラベル(ブランドイメージのようなものか)を獲得し、有権者もそこに期待を寄せたからだという。
重要なのは、ここで言う「大阪」とは、大阪市という行政区域に限定されない「抽象的な都市空間」を指していることだ。大阪の有権者は、個々人の地元という狭い範囲の利益ではなく、より集合的な「大阪」の利益を求め、政党ラベルを手掛かりに、自律的かつ合理的に維新を選択した、というのである。
選挙で維新を支持したからといって、その主張を彼らが丸飲みしているわけでもない。正確な理解と批判的志向を持って慎重に判断したからこそ、住民投票で都構想は否決されたのだと、善教は言う。多くの有権者は、都構想によって大阪市という政令市が解体されることを理解していた。住民投票直前に賛成から反対へと態度を変えたのは、維新支持者に多かったという。だとすれば、今回の選挙で、維新が「大阪市はなくならない。町並みやコミュニティは残る」などと珍妙な言い訳をしていたのは、何の意味もなかったことになる。
このほかにも興味深い分析結果が数々示されているが、もう一つ挙げるなら、維新支持は「自己強化」の段階に入っている、ということがある。それは、先述した維新の街頭演説から私が受けた印象と合致する。橋下時代に何度も見た熱狂的な雰囲気とは異なり(同書は、当時から「熱狂」などではなかったと否定するのだが)、穏健な支持層が着実に積み重なり、ごく自然に盛り上がっている感があった。
維新支持者の動向はポピュリズム論では説明できないと、善教は繰り返し主張する。にもかかわらず、従来の維新をめぐる議論が、「独裁者に扇動され、誤った情報を鵜呑みにした大衆が熱狂的に支持した」というような単純な見方で、有権者を無視するか、愚者であるかのように扱ってきたことを痛烈に批判している。同書の執筆動機は、そうした論者の姿勢への不満にこそあったという。
「橋下をめぐる過剰報道と、彼のメディアコントロールが、有権者の熱狂を作り出した」と主張した拙著『誰が「橋下徹」をつくったか』も、善教が批判する論に連なるものだ。実際、同書では拙著にも言及されている。維新や在阪メディアという情報供給側の異様な熱狂ぶりに注目するあまり、受容側である有権者の理性や判断力を軽視したと言われれば、率直に認め、反省せねばならない(ただ、そうであれば、当時のマスメディアの過剰な維新寄り報道の影響はなかったか、あるいは、報道がきわめて公正に行われていたことになり、そこにはまた新たな疑問が生じるのだが、これはまた別の問題だろう)。
いずれにせよ、
維新支持層は「抽象的な『大阪』の利益」を求めているという主張は、大いに頷ける。これは私の印象論に過ぎないが、その背景には、何ごとにおいても東京に対抗し、反発しながらも憧れる大阪の文化的土壌、つまり、根深く強烈な東京コンプレックスがあるのではないか。今回の選挙で、維新は「都構想で東京のような特別区になれば経済成長できる」と言い、自民は「東京の劣化コピーでしかない制度にしても意味がない」と主張した。これは実に重要な論点であり、票の分かれ目になったのではないか。
大阪維新の会が誕生して、まもなく10年になる。私を含め、その政治手法やビジョンに異を唱えてきた者は、今こそ安易な予断を捨てて維新支持者の声に耳を傾け、対話し、なぜ彼らが支持するのか、支持し続けるのか、丹念に考える必要がある。大阪にこれほど深く根づいた維新政治への対抗軸を立てるには、そこから始めるしかないと考えている。
<取材・文・写真/松本創 Twitter ID:
@MatsumotohaJimu>
70年、大阪府生まれ。神戸新聞記者を経て、フリーランスのライター。著書に『誰が「橋下徹」をつくったか――大阪都構想とメディアの迷走』(140B、2016年度日本ジャーナリスト会議賞受賞)、『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』(東洋経済新報社)など