筆者が運転免許を取得した頃は、初心者への煽り運転は現在以上に常態化していたのだが、筆者は「道路デビュー」から数か月の間は、正直なところ自分が煽られていることすら気付かないほどガチガチに緊張していた。
しかし、運転回数を重ねていくと徐々に周囲が見え始め、恐怖心や緊張感も激減。運転に「慣れた」と思うようになる。
さらにそこに「若さ」も手伝い、免許を持っていない周囲の友人に「カッコいい」、「運転できていいな」と言われると、なんとも素直に気は大きくなり、優越感で運転も大胆になっていった。筆者がバイクとの接触事故を起こしたのは、ちょうどそんな状態の時だ。
先述のようにブレーキを頻繁に踏むなど、過剰に注意を払う「初期」は、周囲のドライバーに迷惑を掛けこそすれ、事故を起こすことはそれほど多くない。
実際、周囲のドライバーに話を聞いても、事故率が高いのは、「運転初期」よりも「後期」。運転中にスマホを操作するなどの「ながら運転」や、景色に目を奪われる「わき見運転」をするのも、「ガチガチ運転」をしなくなった初心者後期だ。初期には、よそ見をする余裕すらない。
運転に「慣れた」と思うことは決して悪いことではないが、彼ら初心者が「余裕を持って運転できるようになった」、と感じるほとんどの場合は、運転することに対して「慣れた」のではなく、「ダレた」だけだということを、彼らは自覚する必要がある。
この「初心者」という存在においてはさらに1つ、元トラックドライバーとして分かっておいてほしいことがある。「トラックドライバー」だからといって、彼ら全てが「運転のプロ」であるわけではないことだ。
運転が業務の大半を占めるトラックドライバーは、世間から「全員が運転のプロ」と思われる節があり、実際、彼らが事故を起こせば「トラックドライバーなのに」といった声がよく聞こえてくる。無論、長年トラックドライバーとして働いている人は、プライドを持ち「プロ」として業務を遂行している。
が、そんな彼らにも「デビューした日」があったように、道路には毎日のように「初心者トラックドライバー」が誕生しているのだ。
大きなクルマを操る以上、「運転のプロ」であるべきではあるのだが、どれだけ会社で研修を受けても、公道への1人立ちはやはり緊張し、世間がトラックドライバーに抱いているような運転ができるとは限らない。
こうしたトラックドライバーに対する世間の固定観念は、
「運転の上手い彼らになら、多少強引な運転をしても避けてくれるだろう」
「彼らはプロだから、自分の意思を察してくれるだろう」
といった、いわゆる「だろう運転」を引き起こす。
運転免許を持たない歩行者やサイクリストの場合はなおさらで、彼らは「だろう」を通り越し、「トラックが自分を轢く『はずがない』」とさえ思っているのか、交差点の信号待ちでは歩道ギリギリに立ってスマホをいじる。が、現状は、内輪差を計算できずに歩道に後輪を乗り上げるトラックやバスは少なくないのだ。
こうしたトラックドライバーが持ち合わせる「実力」と、「トラック=プロ」という周囲が持つ先入観とのギャップは、大きな事故を引き起こす要因になるのである。
多種多様な「初心者」が道路デビューを果たすこの季節。
ゴールデンウィークに初めて長距離を運転する初心者ドライバーもいるだろうが、「周囲にカッコいいところを見せよう」などと思わず、常に平常心で運転していただきたい。
そして一般ドライバーも、彼らの荒めな運転にカリカリせず、「自分にもこういう時があったな」と温かく見守ってあげられれば、道路はもっとストレスから解放されるはずだ。
【橋本愛喜】
フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。日本語教育やセミナーを通じて得た60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流をもつ。滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を元に執筆中。
フリーライター。元工場経営者、日本語教師。大型自動車一種免許取得後、トラックで200社以上のモノづくりの現場を訪問。ブルーカラーの労働環境問題、ジェンダー、災害対策、文化差異などを中心に執筆。各メディア出演や全国での講演活動も行う。著書に『
トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書) Twitterは
@AikiHashimoto