マレーシアに設立された日本兵慰霊碑への波紋。現地紙報道に見る「批判の理由」

 マレーシアのケダ州でお披露目された「日本の英雄を讃える記念碑」が波紋を呼んでいる。記念碑は第二次世界大戦中の1941年、アロールスターの橋を奪取するための戦闘で犠牲になった日本人兵士を偲ぶものだったが、マレーシアの政治団体から「侵略者を讃えるべきではない」と批判の声が挙がったのだ。

いったい何が書いてあったのか?

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 日本総領事館とマレーシア当局によって設置されたこの慰霊碑。特に問題とされたのは、併設された看板の内容だ。マレー語、日本語、英語、3つの解説文が書かれており、英語版には「アロールスター橋を奪取した3人の日本の英雄たちの歴史」という見出しがついている。以下はその全文訳だ。  “1941年、タイのシンゴラに上陸した約5日後の12月11日、日本の闘士たちはチャンドラとジトラ間の英印軍第5師団の第一防衛団を倒すことに成功し、アロールスターの街を征服した。  日本の次なる標的は第11師団ミュレイ・リオン少将の統治下にあったケダ川の主要な橋だった。1941年12月13日午前10時10分、歩兵第11連隊からの指示を受けた朝井肇中尉はオートバイに乗り、英印軍が橋に仕掛けた爆弾の導火線を切断するべく、橋の北部に向かった。しかし、同時に爆弾が爆発し、彼を殺した。  同じ部隊の2人の仲間、金子伍長も死亡し、中山伍長は重傷を負った。助けにやってきた仲間たちによる銃撃が続き、最終的に橋は確保された。  1942年2月15日、シンガポールが陥落し、東南アジアの大日本帝国軍・山下奉文大将は、橋を征服した歩兵第11連隊の戦士たちの固い闘志を讃えるべく、感状を授与した。彼は「朝井肇中尉と彼の仲間たちの勇気と責任感は卓越しており、比類ない。彼らの闘志を見習うべきだ」と強調した“  このように、看板の内容はひたすら日本軍兵士の活躍を讃えるもの。「日本軍が東南アジアを解放したことに、現地住民は感謝している」といった話はネット上でもよく目にするが、実際には批判が集まり、看板は撤去されてしまった。

英語の解説文には名前の間違いも

 また、前出のとおり、この看板には日本語のテキストも記載されていた。その内容は朝日新聞社発行の『大東亜戦史 マレー作戦』の要約引用なのだが、こちらには「中山伍長は戦死、金子伍長は重傷」と記されており、英語のテキストは名前が逆になっていることがわかる。
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