『あまちゃん』路線も含む震災復興のシンボル。三陸鉄道リアス線がついに開業

リアス線Webサイト

3月22日に公開されたリアス線ページ

 3月23日、三陸鉄道リアス線がついに開業した。と言っても、三陸鉄道には『あまちゃん』でもおなじみの北リアス線や南リアス線が既にあったし、いまひとつピンとこない人もいるだろう。そこでまずは簡単に概略を説明したい。

復興のシンボルとなった三陸鉄道

 大きくまとめると、もともとあった北リアス線・南リアス線に加えて、この両路線に挟まれるように走っていたJR東日本の山田線宮古~釜石間を三陸鉄道に移管。北リアス線・南リアス線と統合し、岩手県の三陸海岸沿いを走ること実に163kmという長大な「リアス線」として再出発を切った……というのが三陸鉄道リアス線開業なのである。  三陸海岸を走るということからもわかるように、このリアス線区間は’11年の東日本大震災で甚大な被害を受けている。特にJR山田線宮古~釜石間は、南北のリアス線が全線で復旧してからも一向に復旧工事が進まず、一時期はJR東日本が事実上のバス転換であるBRT化を提案するなど、廃線の危機に瀕していた。事実、三陸地方を走る路線のなかでは気仙沼線や大船渡線の一部区間が鉄道ではなくBRTで復旧しており、同様の方法を取ろうとJR東日本は考えたのだ。  では、どうして山田線宮古~釜石間は気仙沼線・大船渡線のようにBRTではなく、“鉄道”として復旧することができたのか? 鉄道ライターの境 正雄氏は次のように話す。 「東日本大震災で大きな被害を受けた路線のうち、鉄道で復旧したのは主要都市を結んでいて利用者も多く、重要度の高い路線ばかりです。いち早く復旧した仙石線は仙台と石巻を結ぶ路線ですし、福島第一原発事故の影響で不通が続く常磐線も関東と東北を結ぶ大動脈のひとつとして現在復旧工事が進められています。一方で、もとから利用者の少ない気仙沼線や大船渡線のようなローカル線はBRT化されてしまった。そう考えると、山田線の鉄道での復旧&三陸鉄道移管は稀有なケースと言えるでしょう」  鉄道としては復旧せずにバス転換・BRT化となるとネガティブなイメージもあるが、実際にはそうではない側面もあるという。大量輸送という鉄道本来の役割はこれらの路線では既に失われており、むしろ運転本数や停留所数を増やすことのできるBRT化のほうが地域の人達に対するメリットは大きいという見方もある。収支が大赤字となるローカル線であれば、なおのこと“BRT化”のほうが望ましいと思われるが……。  「もちろん地元自治体などの意向を踏まえたという点が大きいのは間違いない。ただ、山田線宮古~釜石を挟んで三陸海岸を走っていた三陸鉄道の路線が被災後速やかに復旧に向けて進んでいったことも見逃せない要因でしょう」

「復興のシンボル」としての存在意義

 三陸鉄道北リアス線・南リアス線もともに震災で大きな被害を受けたが、北リアス線では震災5日後に陸中野田~久慈間でいち早く運転を再開。1年後には最も被害の大きかった小本(現・岩泉小本)~田野畑間を除く区間が再開した。南リアス線でも‘13年に盛~吉浜間を再開させるなど、スピーディーに復旧を進めていったのだ。そして‘14年4月には南北ともに全区間で運転を再開した。  「三陸鉄道は国鉄の久慈線・宮古線・盛線の一部に新規建設区間を加えて‘84年に開業した第三セクターです。国鉄末期に建設された路線はいわゆる“公団建設線”と呼ばれ、高架やトンネルで直線的に走っている区間が多いのが特徴。おかげで津波の被害が一部を除いて比較的軽微ですんだ。そのため早期復旧にこぎつけることができたのです。また、震災5日後に再開した陸中野田~久慈間では運賃無料で被災者を乗車させる“復興支援列車”として走り、被災地に希望をもたらす“復興のシンボル”となったことも大きいでしょう」  もともと恵まれていた線形と“復興のシンボル”としての存在感。それが三陸鉄道復旧の大きな原動力となったというわけだ。
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同じ路線でも区間によって車窓からの景色には違いが
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