筆者と黒嘉嘉
前回から黒嘉嘉(Hei Jiajia)の独占インタビューを続けているが、一つだけ不便なことがあった。人名の問題である。
かつての日本には、朝鮮半島出身者の名前を日本風に読む慣習があった。金大中を「きんだいちゅう」朴正煕を「ぼくせいき」と読むのが好例である。しかし、最近はできるだけ原語に近い読み方をするのが普通になった。
いかに絶対親しくなりようがない金正恩であっても「きんしょうおん」と呼ぶ人はいない。筆者に言わせれば、それが当然であり、逆に言えばそうしないと日本国外での会話につまってしまう。
しかし、未だに中国語圏の人名は日本読みがまかり通っている。黒嘉嘉を日本メディアは「コク・カカ」と呼んでいる。だが、ほかの国の囲碁ファンと彼女について話すなら、それでは通用しない。まして本人を目の前にしているのだから、Jiajiaと呼ぶのが当然だろう。
井山裕太について聞こうとして、「イヤマ」と発音した時に彼女は一瞬怪訝な顔をした。
つまり、彼の名前を中国語読みで覚えているに違いない。韓国人名を原語風に呼ぶようになったとき政府や大手マスコミがどういう取り決めをしたのか知らないが、そろそろ中国語圏の人名もお互いに原語に近いものに統一するほうが国益にも礼儀にもかなうのではないか。本稿で名前のルビを一貫して原語に近いものに統一しているのはそのためである。
6歳で初めて囲碁教室に行ったとき、すぐに魅せられた
余談が長くなってしまったが、かつて趙治勲は「囲碁を始めて一年以内に定石の美しさがわかれば、それだけで才能がある証拠だ」と言ったという。黒嘉嘉は囲碁を始めてどれくらいの期間で囲碁に魅せられたのだろう?
「私が囲碁を始めたのは六歳のときに母が囲碁教室へ連れて行ってくれたときです。今思えば、始めてすぐに囲碁に魅せられたと思います。一回目の教室に参加して、もっと続けたいと言ったのです。始めてすぐ楽しいと思い、今も囲碁を楽しいと思います。AIが出てからは、今まで私たちが考えたことすらなかった手順も出て、なお面白いと思いますね」
筆者の高校時代の同級生に、囲碁アマ六段の男がいる。最近電話で話すと、「AIが強くなりすぎて囲碁プロ棋士という職業およびその存在意義がなくなってしまうのではないか」と本気で心配している様子であった。黒嘉嘉はこの点をどう考えているのか。
「おそらく、その問題は私たちの大部分が一度は考えたことがあると思います。ですが、見る分にはやはり人間同士の対局のほうが興味をそそられますよね。私たち人間は、間違いを犯しますから。もちろん私自身も練習用にAIは活用していますが、囲碁そのものは人間がやっているもののほうが面白いですよね」
実を言うと、筆者もこの点はあまり心配していない。理由は簡単である。F1で時速400㎞近くの車が走っている時代においてさえ、ウサイン・ボルトを「お前の脚は車より遅い」と責める者はいない。
42.195㎞を三時間で走ろうが、四時間で走ろうが、一体何の意味があるのか。そんなもの、車があれば疲れることなく一時間で移動できるではないか。
にもかかわらず、筆者を含む市民ランナーは性懲りもなくカネを払って走り続け、エリウド・キプチョゲが本当に二時間を切れるか全世界が注目している。だからプロの囲碁も将棋もチェスも、人間が間違いを犯す姿、苦しみの中で正解を見出す凄み、その背後にあるヒューマンドラマがある限りそこまで廃れないだろうというのが筆者の持論である。
「まったくその通りだと思います。人間がやっていて、ミスを犯したり努力したりする姿があるから見ていて興味を惹かれるんですよね」(黒嘉嘉)