風営法規制の中で「クラブ」はどうあるべきか? 『平成最後の緊急クラブ・サミット』レポート

シンガポールのクラブシーンでは宗教の垣根を越えて交流

 2010年代初頭には、警察によるクラブの摘発が進み、クラブやクラブカルチャーを守るため、風営法の改正を求める運動が広がった。しかし、そもそもクラブやクラブカルチャーを守るとは、どのような場所を守ることなのか。クラブはどのような場所であるべきなのか。守る会・副会長でラッパーのダースレイダーさんは、ベルリンのクラブを引き合いにだし、「普段の自分を脱げる場所」であることが必要だと話す。 「ベルリンのクラブでは、スマホの持ち込みが禁止になっているところがあります。入口でスマホを預けるかカメラにシールを貼って写真を撮れないようにするんです。それは日常生活における肩書や性別、年齢を取り払って“何者でもない者”になれる空間を作り出すためなんです。また内輪で盛り上がるのを防ぐため、グループ客を入れないんですよ。90年代までは日本のクラブも“普段の自分”を脱げる場所だったと思うのですが、最近はそういう場が少なくなっているような気がします」  ベルリンとは異なり、日本のクラブでは日常の自分から自由になることができない。守る会・広報部長でDJのNaz Chrisさんもシンガポールで同じように感じたという。 「先週、シンガポールに行ってきました。シンガポールってごみを捨てたり、唾を吐いたりするだけで罰せられる非常に厳しい国なんです。でも皆夜はとても解放されていました。20店舗くらいが軒を連ねてクラブ営業をしているのですが、イスラム教徒も仏教徒も隔たりなくたむろしている。こういうことがなぜ日本ではできないのだろうと思いました」  脳科学者の茂木健一郎さんも日本のクラブシーンを痛烈に批判。米国留学時代にニューヨークのクラブに行ったことがあるという茂木さんは、こう語った。 「俺は1980年代にニューヨークのライムライトやパラディウムに行ったことがあるんだけど、すごく良かったわけ。当時は本当にイケてない大学生で、日本だったらきっと『ダサい』と言われていたと思う。ニューヨークのクラブは本当に最高なのに、僕のような学生でも居心地がよかった。そこでは踊りたければ踊ればいいし、何もしたくなければただ佇んでいればいい。クラブはそこにいる人を自由にして内面を解放するような場所じゃないと意味がないと思う。でも日本のクラブシーンはそうなっていない。もっと自由じゃないと人なんて来ないよ」  日本のクラブシーンが盛り上がっていくためには、「年齢やジェンダー、肩書きに関係なく交流できる場所」(Naz Chris)になっていくべきなのだろう。ダースレイダーさんは「クラブ側が意識したそのような場を作っていく必要がある」と話していた。 <取材・文/HBO編集部>
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