千葉・野田の虐待死事件を「他人事」で終わらせてはいけない

写真/時事通信社

「他人事」で終わらせない

 千葉県野田市で小学4年生の栗原心愛(みあ)さんが、父親による虐待の果てに殺された事件は、我が家の子供たちの一大関心事になった。息子と娘は小学6年生と3年生。心愛さんと年齢が近い。2人とも、テレビのニュースや新聞の記事を見ては、「つらかったろうなぁ」「なんであの父親はそこまで殴るんだろう」と悲痛な顔をしている。  しかし私は、彼らのこの姿を正視することがどうしてもできない。  子供たちはいま私に信頼を寄せてくれている(ように見える)。いまだに一緒に遊ぶことをせがんだりもする。傍から見れば「仲の良い親子」ではあろう。だが、私はかつて、心愛さんの父親と同じように、底知れない加虐衝動をもっていたのだ。その衝動はあらゆる対人関係で爆発し、過去、私の人生において、さまざまな問題を生んできた。まだ子供たちが幼かったころ、その衝動を彼らに向けて爆発させたことさえある。一歩間違えれば、私が心愛さんの父親のように一線を越え、我が家の子供たちが心愛さんと同じような結末を迎えていたかもしれないのだ。  対人関係での破滅や様々な挫折を経て、私は、自分の問題を直視せざるを得なくなった。おそらく、私と心愛さんの父親を分かつものは、「最悪の結果になる前に気づけたかどうか」という、極めて薄い一線にすぎないだろう。  心愛さんの父親が真っ先に加虐の対象として選んだのは妻、つまり心愛さんの母親だった。彼女は、夫からの暴力を様々な人に訴えたという。しかし、彼女の言葉に耳を傾けたのは彼女の母親、つまり心愛さんの祖母だけだった。娘婿の暴力がやがては孫娘にも向かうだろうと考えた祖母は、学校や児相に暴力を訴えた。しかし、ここでも耳を傾ける人はいなかった。その後、祖母を沖縄に残し、家族は千葉に転居する。そこで最悪の悲劇が起こった。
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誰もが一度、「暴力」を捉え直す必要がある
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