パリ・ダカの終点で見た奴隷積出港の歴史と塩採掘の風景
ゴレ島の「奴隷の家」。奥の戸から貨物船が見える。当時のアフリカ人たちが見ていたのは自分たちをアメリカ大陸に運ぶ奴隷船だった
彼らの苦難は、何も今に始まった事ではない。ダカールはそもそも、アフリカ随一の奴隷「積み出し港」だった。
会議終了直後、筆者はダカール沖合のゴレ島を訪れた。「奴隷の家」と呼ばれる建物があり、今では観光地化している。欧州列強の植民地だった時代、周辺各地から現地人がここに集められ、次々とアメリカ大陸に送られたという。
その数は、1000万人とも2000万人とも言われる。現在のアフロ・アメリカンの祖先たちだ。外部の強者に翻弄される歴史は、今に始まったことではないのだ。
かといって現状維持でいいのかというと、そうでもない。この映画で描かれている労働者たちは、みな劣悪な環境で働いて糊口をしのいでいる。
ダカール郊外にあるピンクレイクにも足を運んでみた。パリ・ダカールラリーの終点として知られるこの湖は、アフリカ有数の塩湖でもある。
高濃度の塩分を含む湖水に全身を浸し、湖の底から塩をすくい上げる作業は、想像を絶する過酷な労働である。健康上、危険この上ない。資源管理の面からもさまざまな疑問が浮かぶ。港町での労働と同じだ。
現状は決してよくはない。かといって、これまで当たり前のように世界中で行われてきた「近代化」にも問題がある。では、どうすればよいのか。私たちには「第三の道」はないのか。それが、21世紀の私たちに突きつけられている問いなのだ。
先進国の考え方を世界中に当てはめるという流れは正しいのか
同映画祭受賞作品の舞台やテーマは多岐にわたる。
世界で最も汚染されたインドネシアの川、油田開発に揺れるエクアドルの熱帯雨林に住む人びと、ダム建設計画で取り残されたロシアの村、京都の山を舞台に動物と命のやり取りをする猟師。
人間の開発や発展、暮らしの向上や環境との共生には、どのような「第三の道」があり得るのか。さまざまな映像作品が多方面から語りかけてくる。
本来これこそ、今ちょっとしたはやりになっている
「SDGs」(持続可能な開発目標)が求める道である。つまり、先進国の考え方を世界中に当てはめて押し付けようとする流れは正しいのか、一旦立ち止まって考える。かといって、今日食べるものさえないような人たちの窮状を放ってはおかない。
SDGsは、過疎地の町おこしやCSR(企業の社会的責任)と関連づけられて語られるシーンをよく目にする。だが、日本の片田舎のある町や、ある民間企業に関わる人たちだけがうまくいけばそれでいいという話ではまったくない。世界中のありとあらゆる人に目を向けるのが、SDGsの本来のあり方だ。