戦後レジームから学び直す「北方領土」問題

第二次世界大戦の結果に「逆らう」ことの意味

 日ソ共同宣言でソ連から支持を受け、日本は1956年12月18日、国際連合に加盟しました。国連憲章の掲げる「平和愛好国」と認められ、国際社会へ復帰したのです。ちなみに、国連憲章は日ソ共同宣言に先立つ1952年に、国会で承認されています。その国連憲章では、第107条で次のように規定されています。 “この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。”(参照:国連広報センターホームページ)  要するに、第二次世界大戦の旧戦勝国が旧敗戦国から得た領土や利益等について、旧敗戦国がそれを取り戻そうとする主張や行為について、国連憲章は一切、根拠にならず、擁護もしないということです。逆に、旧戦勝国が旧敗戦国に対し、領土等について保全する目的で、武力行使をしても、国連は一切、それを咎めないということも意味します。いわゆる「旧敵国条項」です。  ここで頭の体操をしてみましょう。仮に、ロシアが択捉・国後両島(あるいは全千島列島と南樺太)を不法占領していると、日本政府が主張することに対し、ロシア政府が「日本は第二次世界大戦の結果を認めない」として武力侵攻してきたら、国連はどうするでしょうか。少なくとも国連憲章の条文では、国連はロシアの行動を正当な行為と認め、日本への武力侵攻を阻止しないのです。  日本は、第二次世界大戦の結果について、国連が旧戦勝国の側に立つことを認めた上で、国連に加盟しています。つまり、第二次世界大戦の結果を受け入れ、これを二度と覆そうとしないことを国際社会に約束しているわけです。  さて、ここでポツダム宣言の第一のポイント「連合国の決める諸小島」に戻りましょう。本州・北海道・九州・四国以外のどこが日本の領土になるか、ポツダム宣言は連合国が決めるとし、国連憲章はそれを覆してはならないと規定しています。そして、日本政府は両方とも受諾・批准しています。  それでは、千島列島についてどこに帰属すると、連合国は決めているのでしょうか。その取り決めは米英ソ首脳による1945年2月11日の「ヤルタ協定」です。同協定の第3項は、次のように規定しています。 “千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること。”  当時、同協定は秘密にされ、日本政府は関知していませんが、ポツダム宣言の受諾とサンフランシスコ平和条約の批准、国連憲章の批准によって、後から同協定を追認するかたちになっています。千島列島の範囲も、ポツダム宣言の受諾によって、連合国すなわちソ連が決めることを認めています。  つまり、日本政府は、1945年8月14日のポツダム宣言の受諾から一貫して、受諾・批准した条約等を通じて、択捉・国後両島が現在の日本領土でなく、ロシア(旧ソ連)の領土であることを認め続けているのです。それによって、ロシアを含む旧戦勝国から、国際社会に存在すること(国連加盟)を認められています。
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かつての自民党政権が「四島返還」にこだわった背景
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