SNS企業は規模の大小を問わず利用者の見えるものと見えないものを決定でき、個人別に告知を見せることができる。SNS企業はその規模にかかわらず力と責任を持つのだ。そこで見せたくないものを規制しようとすると、”真実の裁定者”であることよりも差別やハラスメントやフェイクニュースの裁定者であることになる。つまり
真実の如何によらず、SNS企業のポリシーによって差別やハラスメントやフェイクニュースを判断することになる。
レポートの中には一部の政治家が、SNSを「公共財」になったと語っているのが紹介されている。その考え方を代弁するように一部の国ではSNS企業に対する法規制が始まっている。
ここにも問題がある。
アメリカのCommunications Decency Act(通信品位法。アメリカのわいせつ・暴力番組の規制に関する法律)のセクション230のように「善きサマリア人」の規定(※他者を助けるために善意で行動した結果生じた過失についての免責を規定したもので、CDAにおいては倫理上好ましくないとプロバイダ又は利用者が判断した情報へのアクセス又は入手可能性の制限のために自発的にとった行動において免責されること)を含むものだと内容が曖昧でわかりにくい。
かといってドイツのNetzDGという法律のように厳しいものだとSNS企業は事後対応から事前対応(危険なコンテンツの投稿を予防する)に向かうことになり、検閲に近くなる。
マレーシアなど一部の国では
現政権の反対者や野党を抑圧するためにフェイクニュース規制法を利用している。それらの国でSNS企業が合法的であろうとすれば、
言論封殺に力を貸すことになる。カンボジアではフェイクニュースを安全保障上の問題と認識しており、フェイクニュースをSNSに投稿した者は逮捕される。
SNS企業によって言論が左右されていることを認識せよ
我々はもっとSNS企業によって我々の言論が影響を受けていることを認識しなければならない。
「これらのプラットフォームを持つSNS企業はヘイトやフェイクニュースをチェックするよう求められている。それだけを聞くと当然のことのように思えるが、よく考えるとそれは彼らに表現や価値判断を委ねるということに他ならない。SNS企業に判断を委ねると言うことは文化的な支配、少なくとも莫大な影響力を許すことにつながる。」(『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器』より)。
どのタイプのアプローチも状況により柔軟に対応する側面と、一貫性を維持する側面のバランスによって成り立つ。小規模のうちは状況に応じた対応が可能だが、規模が大きくなると一貫性の維持を優先せざるを得なくなり、前述のフェイスブックのような問題を抱えることになる。
そしてこのポリシーがどのアプローチになるかによって、冒頭で述べたように我々の世界は大きく変貌する。
アメリカ大統領選に影響を与え、アジアで暴動やリンチ殺人を起こし、独立分離運動を激化される力を持ったSNSがどのようにポリシーを決めて運用しているか我々は知らなすぎる、ロシアがネット世論操作を仕掛けてくるまでもなく、大手SNS企業がポリシーを変えるだけで社会が変動し、不安定化するのだ。
それだけではない。レポートでは言及されていなかったが、大手SNS企業であるフェイスブックやグーグルは認証サービスを他のサービスに提供している。フェイスブックやグーグルのIDでログインできるあれである。もしSNS企業のポリシーが変わり、あなたの投稿した内容が問題とされ、アカウントを停止されたらその認証を利用しているサービスも使えなくなる。決済もできなくなる。その影響は甚大である。SNS企業は社会に影響を与えるだけでなく、参加する個々人のネット上の活動の生死も握っているのだ。
◆シリーズ連載「ネット世論操作と民主主義」
<取材・文/一田和樹>
いちだかずき●IT企業経営者を経て、綿密な調査とITの知識をベースに、現実に起こりうるサイバー空間での情報戦を描く小説やノンフィクションの執筆活動を行う作家に。近著『
フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器 日本でも見られるネット世論操作はすでに「産業化」している――』(角川新書)では、いまや「ハイブリッド戦」という新しい戦争の主武器にもなり得るフェイクニュースの実態を綿密な調査を元に明らかにしている