話題沸騰の書、百田尚樹著『日本国紀』を100倍楽しみ、有意義に活用する方法

秘められた参考文献の謎

 『日本国紀』はごく一部の例外を除いて参考文献を一切示さないという、全国の元ネタハンター垂涎の仕様となっています。百田氏が読者のために仕掛けてくれたこの謎解きには、真面目に取り組むと編者の有本香氏から引用リツイートの形で攻撃的なメンションが送られてくるというスリリングなオプションも付いているのでやや上級者向けかも知れませんが、それだけに参入者がまだ少なく、今後の伸びしろが期待できる分野となっています。 “起こり得なかったことを論ずるのは歴史の本ではタブーとされているが、もし日本が鎖国政策を取らなかったらと考えてみるのは、非常に面白い。江戸幕府が日本人の海外進出を認めるか、あるいは積極的に進めていたならどうなっていたか。当時、世界有数の鉄砲保有国であった日本の兵力をもってすれば、東南アジアを支配下に収めていたと思われる。(中略)日本のアジア支配と進出経路はインドシナ半島からビルマ経由でインドに至るのが自然の流れである。そうすると、十七世紀の後半にインドの支配をめぐってイギリスと一戦交えていた可能性も否定できない。おそらくその戦いは海戦になったであろうが、スペインの無敵艦隊を打ち破ったイギリス海軍が若干有利といえるかもしれない。”(『日本国紀』P172)  作家百田尚樹氏の想像力のほとばしりを感じさせるかに見えるこの架空戦記風の記述ですが、とてもよく似た発想が1971年に中央公論社から出版された林屋辰三郎・梅悼忠夫・山崎正和編『変革と情報―日本史のしくみ』に収められている梅棹忠夫氏の「幻のベンガル湾海戦」という文章に出てきます(参照:寺田晋氏のツイート)。この文章の書き出しは以下のようになっています。 “「もしも…だったとしたら」とう発想は、現実に生起したファクトのみを対象とする歴史学ではタブーになっているが、そのファクトの意味を考えるうえでは、あえてそのような発想を試みることも、無益ではない。そこで、「もし鎖国をしてなかったとしたら」、その後に考えられる日本史の展開過程はどうなるか。”(『変革と情報―日本史のしくみ』P180)  梅棹氏のこの文章ではこうした仮定のもとに、次のように述べます。 “日本の勢力圏はアラカン山脈の西あたりまで達していたと思われる。(中略)一方、イギリスはすでにスペイン無敵艦隊を破って(一五八八年)、七つの海を制覇しつつあり、十七世紀半ばにはインドのベンガル地方の経営に着手している。したがって、東から来た日本は、西から来たイギリスとベンガル湾をはさんでにらみ合う形になっただろう。そして十八世紀中ごろには、両者は衝突し、ベンガル湾で大決戦を行うことになっただろう、というのである。”(『変革と情報―日本史のしくみ』P181) 「もし鎖国をしていなかったら」という仮定のもとにインドでのイギリスと日本の海戦を夢想する点もそうですが、「タブー」「スペイン無敵艦隊」などの語彙までかなり一致しています。参考文献を挙げない仕様の『日本国紀』には例によって梅棹氏の名前はまったく出てきませんが、ここまで類似性が高いと偶然だという言い逃れも難しいように思いますし、仮に偶然だったとしても、同じような発想をした先人がいないかどうかを入念に確認するのは物書きとして最低限のマナーですから、どちらに転んでも百田氏の作家としての倫理が問われることになるでしょう。
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