「インセル」によるヨガ教室銃撃は、トランプ時代を象徴する事件か

カナダ人女性によって作られたインセル・コミュニティ。現在は「リア充や女性」に憎悪を抱く男性の集まりに

 他者に対する憎悪は様々な形で存在する。その1つが「インセル」と呼ばれる人々の存在だ。インセルとは「Involuntary Celibate」を略した言葉で、日本語では「不本意な禁欲主義者」という意味になる。簡単に言えば、恋人やセックスのパートナーを欲しているにもかかわらず、実際には恋愛や性行為の経験がほとんどなく、そのコンプレックスを他者への憎悪に変えてしまっている人達のことだ。現在、インセルの大半は異性を恋愛対象とする白人男性と言われているが、意外なことにインセルという言葉は20年以上前にカナダ人女性によって作られた。  フェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアがまだ存在しなかった1997年、カナダのトロントに住んでいた女性が「不本意な禁欲主義者プロジェクト」というウェブサイトを開設した。このサイトでは、恋人を作ることができなかったり、孤独に悩む若いユーザー達が、それぞれの抱える思いを投稿し、他のユーザーから励まされたり、アドバイスをもらう事ができた。ウェブサイトを開設したカナダ人女性は今年8月、BBCの取材に応じ、「当初は性別に関係なく、それぞれの悩みを他人に聞いてもらうだけだった。みんな和気あいあいと投稿していた」と当時を振り返っている。現在、インセルという言葉の定義が大きく変わってしまい、女性に対して激しい憎悪が向けられることに、このカナダ人女性は驚きを隠せない。(参照:The woman who founded the ‘incel’ movement -BBC)  ネット上のインセル・コミュニティでは、早い時期から日本語で「リア充」を意味するノーミーに対する嫌悪感を隠さないユーザーが存在した。やがて女性と恋愛関係に上手く発展しない男性ユーザーが、女性に対する憎悪をむき出しにした投稿を繰り返すようになったが、それでも小さなネットコミュニティの中での話であり、アメリカやカナダでインセルという言葉そのものを知る人は少なかった。  インセルの存在がニュースで大々的に報じられたのは、米カリフォルニア州南部で無差別殺傷事件が発生した2014年5月のことだ。自らをインセルと呼ぶ容疑者が、犯行前にユーチューブに投稿した動画の中で、容疑者は過去に恋人としての付き合いを断られた複数の女性に対する恨みを語り、彼女らや恋愛上手な男性に罰を与えなければならないという勝手な持論を展開した。容疑者は22歳の男性で、若者が多く集まる州立大学のキャンパス付近で銃撃を開始。現場から逃走した容疑者を捜索していた地元警察は、のちに車の中で自ら中で頭を撃ち抜いて死亡している容疑者を発見した。  インセルによる事件はその後も続いた。2015年10月にはオレゴン州ローズバーグにある短大のキャンパスで、無差別銃撃によって9人が死亡し、10人が負傷する事件が発生している。この事件の容疑者も、銃撃後に自ら命を絶っている。この事件から現在に至るまで、アメリカとカナダではインセルによる犯行だと判明している銃撃事件が、少なくとも5件発生している。2日にフロリダ州タラハシーで発生した銃撃事件は、容疑者がヨガ教室の生徒を装って建物の中に入っており、周到な準備と計画性もこれらの事件に共通した特徴だ。  インセルという言葉がまだ誕生していなかった時代にも、現在のインセルと同じように、女性やリア充に対して憎悪間を抱き、暴力事件を起こした例は存在する。有名なものとしては、1976年から1977年にかけてニューヨークで若い女性やカップルが相次いで銃撃され、13人が死傷した「サムの息子」事件がある。これは映画化もされた事件だが、逮捕されたデービッド・バーコヴィッツは(終身刑6回分を言いわたされ、現在も服役中)、売春婦以外との性体験が無く、恋愛に対して大きなコンプレックスと憎悪を抱いていたとされる。ソーシャルメディアの普及によって、インセル・コミュニティは拡大しているという指摘もある。また、銃撃事件後に自殺を図る容疑者らが、一部のインセルから殉教者的な存在として崇められているとの報道もあり、ネオナチやISISといったグループの思想とは異なる形の憎しみに、当局も手を焼いているのが実情だ。
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トランプが深めたアメリカの分断
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