140年前に消滅した「県」が復活!? マイナー県の復活劇、その理由とは

「度会県」をご存知だろうか。  読み方は「わたらい県」。中国や台湾の県ではない、れっきとした日本の県だ。  ここに来て、約140年前に消滅したこの「幻の県」を復活させようという動きがある。  果たしてその目的とは――。
「度会県」

「度会県」とは一体どこ……?

140年前の県が復活!「関係人口の想いをつなぐ」ため!?

 度会県は、廃藩置県により1871年に発足。その前身は、1868年に設置された度会府であった。県庁所在地を現在の伊勢市・近鉄宇治山田駅前に置き、松阪市、鳥羽市、尾鷲市など三重県南部の大半を管轄地域としていたが、三重県(旧・安濃津県)との合併に伴い1876年に消滅していた。僅か数年しか存在しなかったこの県名は、今では三重県民でさえも知らない人が少なくない。  度会県の「復活」を図ったのは、その度会県を吸収合併した三重県の部局の1つである三重県地域連携部南部地域活性化局。8月20日には、復活第一段の企画としてバーチャル上で「度会県公式ウェブサイト」が開設された。
「度会県」の公式ウェブサイト

「度会県」の公式ウェブサイト

 近年、「うどん県」や「おんせん県」といった架空の県名でその土地の名物をPRする例は多くみられるが、明治時代の、それも言っては悪いが「非常にマイナー」な県名を今になってアピールすることは珍しく、地理ファン・歴史ファンにとっては注目すべきことであろう。  度会県のウェブサイトでは「県民」の募集や電子県民証の作成、応援メッセージの掲載、定期的な度会県広報(メールマガジン)の配信が行われるほか、「県民参加型プロジェクト」「度会県民の集い」などの参加者募集も実施。11月現在は約600人が「県民登録」をおこなっている。また、facebookでも度会県に関する情報の発信が開始されている。  実は、今回の「度会県復活」は、総務省「『関係人口』創出事業」モデル事業の一環として、三重県及び県内5市8町により企画されたもの。三重県によると、今回の取り組みのコンセプトは、「地域の願いと関係人口の想いをつなぐ」ことだという。
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「復活」の裏にある深刻な「過疎化」問題
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