40か月の拘束に耐えた、安田純平さんの人並み外れた精神力と交渉力

「虐待はイスラムの教えに反する」と相手を説得

あきらめたら試合終了 (Large)

安田さんが日本記者クラブのサイン帳に記した言葉「あきらめたら試合終了」

 あるとき、イスラム教徒は1日5回の礼拝を義務づけられていることに安田さんは着目。イスラム教に改宗して、1日5回は体を動かすことを許された。食事を断ち、「骨と皮みたいになり、脱水症状にもなった」という安田さん。ハンスト開始から20日たった頃、犯行グループの代表者は、安田さんに「もう(日本に)帰すから食え」と言ったのだという。 「解放する」という言葉にもかかわらず、安田さんの拘束状態は続いた。再び動画撮影や身動きを禁じられる状況となった。安田さんは、イスラム教の経典からの引用から「虐待はイスラムの教えに反する」と犯行グループを説得。また、拘束から40か月となる今年10月を目途に「帰すか、もしくは殺してくれ」とかなり強く訴えたのだという。  こうした安田さんの訴えが功を奏したのか、ついに安田さんは解放される。「拘束からちょうど40か月となる今年10月22日に、『今から帰すから』という連絡が来て、車に乗りました」(安田さん)。  安田さんは拘束されていた施設から別の民家に移され、そこで一晩過ごした後、今年10月23日の朝、トルコ当局に引き渡されたのだった。  安田さんが拘束されてからの日本政府や諸外国の政府の動きは、ほとんど明かされていない。水面下の交渉で何があったのか、あるいはそもそも交渉があったのかもわからない。だが、安田さんの人並み外れた強い精神力と、イスラム文化への深い理解を含む交渉能力が安田さん自身を助けたということではないか。まさに圧巻の会見であった <取材・文/志葉玲(ジャーナリスト)>
戦争と平和、環境、人権etcをテーマに活動するフリージャーナリスト。著書に『13歳からの環境問題』(かもがわ出版)、共著に『原発依存国家』(扶桑社)、 監修書に『自衛隊イラク日報』(柏書房)など。
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