翁長雄志前知事の遺志「辺野古新基地阻止」を実現しようとする玉城知事。那覇市内で行われた10月9日の県民葬にて。遺影を手にしているのが翁長樹子夫人
名護市長選や新潟県知事選では、野党国会議員が候補者と一緒に街頭演説をしたが、野党第一党の立憲民主党の枝野幸男代表が沖縄入りした時でさえ、候補者と一緒に街宣車に乗ることはなかった。代わりに隣でマイクを握り続けたのが、翁長前知事の次男の翁長雄治・那覇市議だ。
台風の接近で実施的な選挙戦最終日となった9月28日(金)20時ギリギリまで、風雨の中、父の強固な地盤である那覇市の首里城周辺を回って、後継指名された玉城知事を紹介する役割をしたのだ。
9月22日に那覇市内で行われた1万人集会での、翁長樹子夫人の演説も大きなインパクトを与えた。自由党への挨拶回りで、玉城知事は次のように語った。
「(一括交付金を減額するなど翁長前知事に報復的措置を取った)菅官房長官が表に出れば出るほど(相手)候補者の影が薄くなり、『官邸対沖縄』という構図を彼らが作っていった。それが県民に火をつけたと思いますね。
9月22日の1万人大集会の時に(前知事夫人の)翁長樹子さんが初めて出てきて、『今でも翁長が恋しい』と話した。(参加者は)雨なのに全然帰らない。僕がしゃべる時はシーンとして、(参加者の)目つきだけがギラギラしているのです。
さすがにあの時は『腹を括らないとしゃべれない』と思いました。樹子さんが話したことが結果的に県民に対する“檄(げき)”になったわけですよ。『負けられませんよ。ぬちかじり頑張りましょうね』と。
『ぬちかじり』というのは『命の限り』という意味。この言葉がどんどん拡散して『これに答えなかったら沖縄県民ではない』という気持ちが広がって行った」(玉城知事)
立憲民主党への挨拶周りでも、自公の「勝利の方程式」を、市民と野党が連携した「オール沖縄方式」で打ち破った県知事選を玉城知事は振り返った
立憲民主党への挨拶回りでも玉城知事は、こう熱っぽく語っていた。
「9月22日に大雨が降って、誰も帰ろうとしない中で初めて翁長樹子さん、ご夫人が挨拶をして『命の限り頑張りましょう』『政府に負けてはダメ』ということをおっしゃって、そこから県民の皆様の気持ちが高まって来て。
そういう意味では、あの雨の中に翁長雄志さんがいたのだろう。嵐を呼ぶ男だったらしいのです。そして『翁長さんの遺志を引継ぎながら守るべきものは守ろう』ということを訴えて、結果として私に力をいただいたと思っています」(玉城知事)