オタクたちは抑圧され、自らの欲望について語ることすらできないほど傷ついていたのか。
確かに、中高生だった私の周りでは、オタクという言葉がイコール「暗いヤツ」という侮蔑の語彙だった。今の若者は「陰キャ」というのかもしれないが、2000年代の前半頃はアニメや萌え系イラストを好む同級生が「オタク」と呼ばれ、蔑まれていたと思う。彼らはスクールカーストの最底辺だった。同じくスクールカーストの理不尽な抑圧に苦しんだ人間として、その苦しみは想像に難くない。
そういうトラウマがあるために、オタクたちは「萌えイラストが女性差別に感じられる」という世間の声に対し、ものすごい反発を感じるのかもしれない。彼らが感情を高ぶらせるとき、最もよく見られる表現は「
フェミの“お気持ち”でオタクを排除するな」という語彙である。自分たちが排除されるという危機感。差別され、気持ち悪いと蔑んだまなざしを受ける屈辱は耐え難いだろう。
オタク擁護派の発言からは、「表現の自由」という憲法上の権利を守りたいというより、
自らの尊厳を守り抜きたいという意志を感じる。自分が好きなもの、好きなコミュニティの尊厳を守ることは、当たり前の権利である。彼らの反発心が少し理解できたと思うゆえんだ。
ただ、赤木智弘さん、白饅頭さんとツイートのやり取りをする過程で驚いたのは、彼ら側に立つと思われるアカウントが大挙して私を「オタク差別者」「異常者」に仕立て上げようとしたことである。
Twitterでは「オタクに対し、無邪気に『なぜそのようなコンテンツを好むのか?』と話しかける時点で差別だ」とか、「黒人やレズビアンにも同じように話しかけるのか?」、はたまた「エロコンテンツから強姦のイメージを感じてしまうのは精神異常」など、論点ずらしのリプが沢山寄せられたのである。中には単なる誹謗中傷もあった。
ただ
議論しようと、特定の個人に話しかけていた女をボロクソに攻撃したくなるほど、オタク派の傷は深いのだろうか。
女である私が、その傷に触れることは許されないらしい。ネット世論によると、オタクは私のような者に話しかけられるだけで嫌悪を感じ、深く傷つくそうなので、この話にはもう立ち入らない方が良いのだと思う。ただ、これまで自分が無意識にやってきたかもしれない「オタク差別」だけは反省したい。オタクの皆さん、傷つけてすみませんでした。
<文:北条かや>
【
北条かや】石川県出身。同志社大学社会学部卒業、京都大学大学院文学部研究科修士課程修了。自らのキャバクラ勤務経験をもとにした初著書『
キャバ嬢の社会学』(星海社新書)で注目される。以後、執筆活動からTOKYO MX『モーニングCROSS』などのメディア出演まで、幅広く活躍。著書は『
整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)、『
本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)、『
こじらせ女子の日常』(宝島社)。最新刊は『
インターネットで死ぬということ』(イースト・プレス)。
公式ブログは「
コスプレで女やってますけど」