誰も教えてくれない「考える力」の学び方――哲学的対話への誘い

子どもの哲学(Philosophy for Children:P4C)との出会い

 もう一つ、「考える方法」について考える大きなきっかけになったのは、同じ2012年の夏、ハワイで「子どものための哲学(Philosophy for Children:P4C)」に出会ったことである。  子どもたち十数人(場合によっては30人くらい)が輪になって、自由に話をする。「何を話してもいい」「人の言うことを否定しない」「結論が出なくてもいい」といった簡単なルールの中で、自分たちで出した問いについて一緒に話し、考える。  子どもたちは真剣な面持ちで目を輝かせながら、楽しそうに、それでいて、ときに大人でもついていくのが大変な面白くて深い議論をしていた。  先の哲学の定義を広げれば、「哲学対話」もしくは「対話型の哲学」は、「問い、考え、語り、聞くこと」となる。では、これを日本でやったらどうなるんだろう?  以来、イベントをやったり、学校や地域コミュニティ、過疎の村などで対話の場を作ってきた。そこで見たのは、ハワイと同じ光景だった。そこに、国や文化、世代、性別、職業、学歴の違いは、ほとんどなかった。誰にとっても、考えるのは楽しいし、楽しくやれば、誰でも考える力を身につけていける。  そう思うようになってから、世の中を見て愕然とした。

語る自由がなければ考える自由もない

 哲学対話でもっとも重要なのは、「何を言ってもいい」、そして「何を問うてもいい」ということだ。そのために「他の人の言うことを否定しない」ことも求められる。  問いと発言の自由がなければ、思考の自由もない。自由にものが考えられないところでは、常識や偏見、固定観念にとらわれたままである。ところが、そういう目で見ると、世の中には、自由にものが言える場がほとんどない。 「こんなことを言ったらバカにされるのではないか」、「こんなことみんな分かってるんじゃないか」、「こんなことはつまらないんじゃないか」――――そういう不安、恐れ、羞恥心から、みんな言いたいこと、疑問に思ったことを言わないようにしている。学校も会社も、あらゆる人間関係も、こうした気持ちを強化し、植え付けようとする。  だから哲学対話では、「人の言うことを否定しない」ということを明確なルールとしている。そうしてどんな問いも、どんな発現も許容する。これはみんなが気持ちよく話すためではない。自由に考え、考える自由を手に入れるためである。そしてその自由の中ではじめて私たちは考える力を手にするのだ。  そういう場である哲学対話は、最近はいろんなところで開かれている。ネットで調べれば、見つかる。ぜひ体験してほしい。 <文/梶谷真司> かじたに・しんじ●1966年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は哲学・比較文化。近著『考えるとはどういうことか――0歳から100歳までの哲学入門』(幻冬舎新書)では、哲学対話から見たら世の中がどんなふうになっているのか、そこでどのようにすれば考えられるようになるのか、そもそも考えるとはどういうことか、哲学とは何かが書かれている
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