給食調理員が記録した、原発事故避難民のドキュメンタリー映画
3・11により起きた東電原発事故で、福島県双葉町は県内自治体でただ一つ、役場ごと県外に避難した。行先は埼玉県内の廃校舎。先の見えない避難生活、福島に戻るかをめぐり町民が分裂する様子など、双葉町の人々の姿をつぶさに記録したドキュメンタリー映画『原発の町を追われて』(2012年、カラー56分)が各地で上映されている。
映画を撮影したのは、さいたま市に住む堀切さとみさん。市内で給食調理員として働くかたわら、2008年からドキュメンタリー映像の撮影を学ぶ。翌2009年には初作品『神の舞う島』を製作。山口県祝島で、上関原発計画に反対する人々を記録した。
堀切さんは3・11以前から「原発はいらない」と思っていたが、東電原発事故が発生。事故から1週間後、さいたまスーパーアリーナへ約2000人の双葉町民が避難してきた。程なく、人々は旧騎西高校(騎西町)の校舎に役場ともども移転。長期の避難生活が始まった。
「原発立地住民はどんな思いで原発を受け入れ、事故をへて変わろうとしているのか。それを知りたいと思いました」(堀切さん)。最初はボランティア活動のかたわら、聞き書きから始めた。やがて双葉町民との距離が縮まる中で、撮影を許されるようになる。故郷を追われた人々はカメラを前に心境を語り始める。
「寝て食べるしか、することがない」「私たちは忘れられていくのか」「東電には本当に世話になった。社長が謝りに来れば補償をなどと言わず、水に流した。それなのに結局、来なかった」「今はこの避難所がふるさとのようなもの」……。福島に戻った家族の一人は「原発事故が起きる前から放射能を浴びていた。それでも健康被害なんて出ていない」と言い切った。
双葉町の人々は、都市住民が消費する電力のために原発を受け入れ、その結果として故郷を追われた。スクリーンに現れる双葉の人々に対して「済まない」「申し訳ない」と思う観客もいたことだろう。
しかし「私はそうは思いません」と堀切さん。「都会の人にも、原発立地の住民にも、それぞれ責任はあるでしょう。むしろ原発を受け入れるしかない地方と、私たちが暮らす都市との断絶にこそ、目を向けたい」と話す。
「他の原発立地の人が作品を観ると、『他人事と思えない』という感想が多いですね。再稼働してもし事故が起きれば、自分たちも同じ境遇に追いやられる。それはたまらない、と感じているんです。その根底には故郷への愛着があります。それは都市住民とは、意識の持ちようが大きく異なるものでしょう」(堀切さん)
「故郷を失った人々」の悲劇は、翌年撮影した続編(30分)で一層鮮明となる。そこでは福島県内への役場の移転の是非をめぐって、町が分裂する様子が描かれる。
どうすれば故郷の喪失は回避できたのか。どうすれば「本来ありえた故郷」を実現できるのか。原発にとどまらない。例えば沖縄の基地をめぐる負担と依存の問題も、構造は同じだ。給食調理員が撮った映像が、日本の難問を照らし出している。
映画『原発の町を追われて』公式サイト:http://genpatufutaba.com
<取材・文/斉藤円華>
「立地住民の声聞きたい」
根底に地方と都市の断絶
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