エルドアンとトランプ、その確執の背景と行く先

クルド人独立を煽る勢力を米国が支援

 トルコが国際舞台に登場するようになるのは、米国とフランスが主導してシリアとイラクの2か国を分割して、スンニ派国家とクルド人国家を築くというプランにトルコを参加させたのが切っ掛けとなった。  トルコにして見れば、国内に人口比で2割に相当するクルド人がいて、彼らは独立心が旺盛で、トルコの統一を乱すことをエルドアンは恐れていた。彼らを新しく建国するクルド人国家に移住させればトルコの統一もより確かなものになると考えていたのである。当時の欧米でこのような構想が出来たのも、その時期はソ連が崩壊した後で、ロシアがソ連のように国際的影響力を取り戻すまでの過渡期にあったからで、それを欧米は利用したというわけである。  これが起点となって、その後のトルコは中東で一言を持つようになり、シリアに侵入し米国が支援しているクルド人部隊とも衝突するようにもなっている。そして、米国が味方しているクルド労働者党(PKK)がトルコ国内のクルド人の独立を煽るのを防ぐ為に彼らの拠点を積極的に攻撃している。

ギュレン師を巡る米国との確執

 更にもう一点留意する必要があるのは米国に自主亡命したフェトフッラー・ギュレン師の存在である。  エルドアンが党首を務める公正発展党(AKP)が創設された当初、世俗主義を唱えるギュレンがAKPへの支持者を集めるのに協力していた。しかし、イスラム教条主義を本来信奉するエルドアンと対立するようになり、ギューレンは自らの身の安全を守るため米国に亡命。米国が彼を容易に受け入れたのは彼がCIAの協力者だったからである。  ギュレンを信奉する者はトルコ国内に多くいる。イスラムの教えに固執せず、普遍性を説く彼の思想は法曹界、企業界、警察官、報道メディアなどに多くの支持者がいるとされている。  エルドアンは2016年に起きたクーデター未遂の首謀者がギューレンだと見て、彼の身柄のトルコへの引き渡しを米国にこれまで再三再四要求して来たが受け入れられないままになっている。そこで、トルコは20年在住している米国人宣教師ブランソンを諜報活動をしていたとして拘束。既に2年が経過しているが今も釈放されない状態が続いている。トルコはブランソンの釈放と交換でギューレンのトルコへの送還を要求したのである。  トランプ大統領はこの問題に対して、強硬策に出た。まず、8月1日にブランソンの収監に直接関係しているトルコの法相と内相に対して制裁を科して米国にある彼らの資産を凍結。更に、トルコに圧力を掛けるべく、輸入関税率をアルミ20%、鉄鋼50%に引き上げたのである。(参照:「El Confidencial」)
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通貨危機で危機的なトルコ経済
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