戒律が厳しいため僧侶の生活は大変ではあるが、出家経験者はみな「心穏やかに過ごせる」と言い、また出家したいと考えるようだ
タイ北部の洞窟で6月下旬から7月にかけ世界中の注目を集めたサッカー少年らの遭難事故は、残念ながら救助側にひとりの犠牲者を出したものの、最小限の被害で解決した。
その後少年らの体調も回復したのだが、遭難した少年とコーチ13人のうち12人が出家して、寺院にて短期修行に入った。
タイは仏教徒が国民の94%とされ、一般的な生活にも仏教の教えが根づいている。特に、徳を積むことを「タンブン」といい、タイ人はタンブンを大切にする。
例えば、日々寺院には僧侶の食料を届ける人もいるし、困った人を助けるという行為もタンブンとなる。災害時の支援やボランティア活動もそのひとつで、他国の慈善団体の活動とは動機が異なっていることが多い。タンブンは徳を積むためで、すなわち次の人生で自分がよき状態で生まれ変わるために動くというわけだ。
そんなタンブンのうち、最も徳が高いとされるのが「出家」なのだ。
そして、日本人にとっては驚くべきことに思えるだろうが、タイでは男性なら一生に最低1度は僧侶になることが当たり前なのだ。
会社員でも出家をすることもあり、その場合、企業側はどんな繁忙期であってもそれを拒否することはしない。むしろ、会社の就業規則で出家に関する決まりが設けられており、出家休暇の全期間もしくは一部期間が有給扱いとなる企業もあるのだ。
これは面白い副次的作用を生み出している。というのも、タイは女性の社会進出については、先進国以上に進んでいるのだが、その理由としては、外資系の中には好んで女性を雇い入れている背景がある。その背景のひとつに、女性は出家しないからという理由があるのだ。
ただ、日本の仏教と違いタイは上座部仏教のため僧侶は厳しい戒律の中で生活し、一般の人からも敬われる存在となるため、出家は特別な意味があることなのだ。
家族、特に母親にとっては息子が出家することはより誇らしいことでもある。尼僧(女性の僧侶)はタイにもいるが、一般的には女性は出家をしないため、息子が出家することは母親自身もタンブンに貢献できていることを意味する。
タイでは男性は一生に一度は出家する。学校で仏教用語を習うこともあり、誰もが当たり前に出家する
今回の遭難少年らの出家は、彼らを非難する声はほとんどなかったものの、世間を騒がせてしまった反省もあるのだろう。ただ、それ以上に、唯一亡くなったダイバーの供養の意味合いが強い。外国人から見るとそんなことで社会的に納得されるのか、亡くなったダイバーの家族はどう思うのかといった疑問があるだろう。ところが、タイではこれが日本人には信じられないくらいに納得されるのである。