オウム死刑執行当日、公安調査庁が立ち入り調査したアレフ施設前は、思いの外ゆるい空気だった

誰も「いますぐテロが起こる」という恐怖は持っていなかった

 午後2時50分。公安調査庁の職員が報道陣の前まで歩いてきて言った。 「これから立入検査を行います。職員の顔は撮影しないで下さい。徒歩です。あっちから来ます。間もなく。よろしくお願いしま~す」  のろのろと報道陣が撮影ポイントを確保し配置につく。ほどなく公安調査庁の職員が列をなして徒歩で近づいてきた。十数人といったところだろうか。先頭の責任者らしき職員以外は、皆若い。彼らもまた、多くはオウム事件をリアルに知らない世代だ。  職員たちが施設の扉に向かう。その動きに合わせて報道陣もぞろぞろと移動し、職員を取り囲む。人数が多いため、完全な「メディアスクラム」だが、報道陣に殺気はない。現場によってはカメラマンたちが先を争って好ポイントを確保しようと押し合ったり「押すな!」「前に立つな!」と怒鳴り合ったりすることもあるが、ここではそんな雰囲気はまったくない。おかげで筆者は難なく報道陣の最前列、いや公安調査庁職員より前の位置を確保して撮影することができた。  公安調査庁職員が敷地の外壁の扉についたインターホンで検査の旨を告げ、扉を開けるよう求めるが、反応はない。 「ここで急に扉が開いて、中からVX(※オウム真理教の一連のテロ事件でも使用された猛毒の神経剤の一種)でも撒かれたら自分も含めて全員死ぬだろうな」  そんな考えも頭をよぎったが、いまここでテロが起こるかもしれないというリアルな恐怖はまったくない。他の報道陣も同じだろう。数十人が、筆者のすぐ隣や背後で、扉のすぐ前まで近づいて取材していた。

ゆるい雰囲気と似つかわしくない「ものものしい」人数

 自動車の出入り用の大きなゲートは開きっぱなしだったため、職員たちはそこから敷地に入り、建物の扉の前で再び声をかける。10分間ほど、アレフは呼びかけに応じなかったが、やがて扉が開き、職員らが中に入っていった。  現場は再び静かになった。検査が終わるまで取材を続けるつもりなのだろう。多くの報道陣がまた待機に入る。  筆者は別の用事があっため現場を離れた。先ほどの顔見知りのカメラマンは検査開始前に別の仕事のため現場を離れていたので、電話で連絡した。 「いま検査入りました。ぼくも用事あるので離脱します」 「オレいま現場着いたよ。帰っちゃうなんてバカだな。これから事件が起こるってのに」 「公庁が入ったところで、アレフがビルごと自爆でもするんですかね」 「そうだよ」  そんなニュースは最後まで流れなかった。  もちろん、テロを警戒すべき団体であることに違いはない。公安調査庁の調査も必要なものだ。しかし筆者自身も、おそらく現場に詰めかけた報道陣も野次馬も、その場でテロが起こる可能性など全くリアルに感じてはいない。  ならば、この緊張感のない人数ばかりの「ものものしさ」は一体何なのだろう。 「いくらなんでもテロまではやらないだろう」  きっと皆がそう思っている。そして94年と95年にオウムが無差別テロを実行するまで、オウムがそこまでやると予想していた人は、やはり多くなかったはずだ。
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「オウムの問題」は解決したのか?
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