安倍政権が推進する「水道事業民営化」は、「水という人権」を蹂躙する

世界の流れと逆をゆく「水道事業民営化」

 しかし、安倍政権が水道事業民営化に邁進する一方で、世界の潮流は「再公営化」に踏み出す事例が増えている。国際公務労連(PSIRU)の調査によれば、2003年の時点で水道及び下水道事業を再公営化した自治体は3件だったが、2014年の時点では35か国の少なくとも180の自治体が再公営化に踏み切っているという。地域も、欧米からアジア、アフリカと世界中で行われており、180か国の内、高所得国が136、低所得国が44と先進国・途上国問わずに再公営化が実施されているのだ。  なぜそのような事態になっているのか? その理由の多くは、民間の水道事業者が約束を守らず、利益ばかりを追いかけ、ローカルな人々のニーズを無視したことが主因だ。  しばしば、水メジャーの非道として紹介される最も有名な事例は、1999年のボリビアの事例だ。  1999年に深刻な財政危機に陥ったボリビアは、世界銀行から債務軽減や開発援助を受ける代わりに、財政再建の一つとして、世銀の指導通り水道事業を民営化した。ボリビアの水道事業に参入したのは、アメリカのベクテルであった。  ベクテルは、ボリビア・コチャバンバ市の水道事業に参入、その後水道料金を一気に倍以上に引き上げたのだ。この頃のボリビア・コチャバンバ市の平均月収は100ドル程度。そんなところで一気に月20ドルへと値上げしたのである。住民たちは猛烈は反対運動を行い、数千人の住民がデモを計画したところ、それを当時の政権側は武力で鎮圧、死者や失明者、多くの負傷者を出す事態になったのだ。これだけでは終わらない。さすがに住民の猛反対を受けたコチャバンバ市はベクテルに契約解除を申し出ると、同社は違約金と賠償金を要求してきたのだ。  料金の値上げだけではない。劣悪な管理運営や、設備投資の出し渋り財政の透明性の欠如品質低下などさまざなま原因で世界中の自治体が水道事業民営化に反旗を翻し、「再公営化」しているのである。  水道料金が4年で倍になった上に、寄生虫が混入するという事故が起きたにもかかわらず、住民にはその事実が隠蔽されていたというシドニーのような例もあるほどだ。

だんまりを決め込む自称保守の不思議

 不思議なのは、「中国が日本の水源地を買収しまくっている」というニュースには怒りの反応を見せる「保守」や「愛国」を自称する人々が、安倍政権のこうした潮流については何も発言しないという点だ。  PSIRUの資料では、冒頭で述べた安倍政権が推進している「コンセッション方式」について、“民営化は不評を買うことが多いため、コンセッションやリース契約などのPPP(編集部注:パブリック・プライベート・パートナーシップ。いわゆる官民パートナーシップ事業)は独自な手法であり、民営化とは違うのだと人々に思い込ませる宣伝手法をとってきたが、それは虚偽である。名称にかかわらず、それらはすべて事業の経営権を民間部門の手に渡すことを意味する。”とさえ書いているのだ。  安倍政権の決めたことならば、外資に水道事業が売り渡されても大賛成、というのであれば、それは果たして「愛国」と言えるのか。老朽化対策をするのになぜ大前提として民営化する必要があるのか。全く意味がわからない。

「水は人権か?」

 2010年、ベクテルによる水道民営化によって痛い目にあったボリビアの国連大使は、国連で“The Human Right to Water and Sanitation(水と衛生に対する人権)”と題した演説をした。 “飲料水と衛生の権利は、人生を最大限に謳歌する上で必要不可欠な人権です”  自国の水道事業を、民営化によって無茶苦茶にされ、自国民の死者まで出したボリビアだからこそ出た、心からの主張であった。  水は、間違いなく誰もが享受でき得るべき人権なのだ。  水道事業民営化の危険性は、「外資に売り飛ばされる」などという稚拙な感情論ではない。民営化で合理化・採算性向上といえば聞こえはいいが、JR北海道の路線がどのようになったのか、さんざん報じられている現実を見ればその行く末もわかるだろう。鉄道であればバスなどの代替手段に変わることも可能だが、果たして「水道」という人間にとってもっとも欠くことのできないライフラインで合理性や採算性などという市場原理が相応しいのか甚だ疑問である。  水道事業民営化の根本的問題は、合理性・採算性を大義名分として、「人権」が切り捨てられかねない点にある。 <文/HBO取材班>
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