「児童虐待への処方箋は戦前道徳の復活」? 珍説をのたまうエセ保守議員の伝統軽視を斬る

ググって瞬時にわかる間違い

 離婚率についてはどうか。こちらも厚労省発表の統計によれば戦後一貫して上昇傾向が認められるものの2002年を頭打ちにその後は減少に転じている。しかし、実は明治30年以前の日本人の離婚率は、現在の1.5倍以上という極めて高い水準にあった。(参考:社会実情データ図録)  明治31年を境に離婚率が急激な減少に転じたのは、同年に親族・相続について定めた明治民法が成立したためで、法整備によって離婚のハードルが上がった結果に過ぎない。明治中期までの離婚率の高さは江戸時代以来のものであって、前近代の日本人がしばしば離婚(多くは夫が妻を半ば一方的に追い出す形をとる)と再婚を繰り返していたことは学界では常識に属する(詳しくは高木侃著・平凡社刊の『三くだり半ー江戸の離婚と女性たち』や、湯沢雍彦他著・クレス出版刊の『百年前の家庭生活』等を参照されたい)。なおDVについては戦前の統計は確認できなかったが、離婚の原因に配偶者の暴力があったことは容易に想像でき、これも道徳観との関係は認めがたい。  そもそも上記の文献の大半は「戦前 児童虐待」「戦前 離婚」等のキーワードでググって(=google検索して)上位に出てきたもので、以上はあくまでそれらを読んで整理してみたまでのものである。  杉田議員は動画の中で、昨今の児童虐待通報件数や警察のDV対応件数の増加について「これまでは表になってなかっただけかも知れない」などと留保をつけてはいる。ただそのように思ったのであれば、なぜ彼女は上記したキーワード等で検索し、自身の考えが単なる思い込みではないかどうか検証することすらせず、戦前の日本人の道徳うんぬんといったあやふやな与太話を繰り広げるのだろうか。ググって瞬時にわかるこの程度の誤解を放置する態度は、選良たる国会議員としてあまりにも怠惰だと言うほかない。

教育勅語のなかの中国

 杉田議員の語る戦前の日本人の道徳観の中核は、どうやら明治23年に発布された教育勅語であると見て間違いなさそうだ。2015年に杉田議員は自身のブログで「ヘイトスピーチ規制法案よりも『教育勅語復活』」と題したエントリーを書いている。児童虐待のみならず、DV・離婚・ヘイトスピーチなど、あらゆる社会問題を解決してくれるらしい教育勅語はさながら万能薬で、仮にこれが事実だとすれば、日本のみならず世界中で即座に導入すべきものということになる。  ところで教育勅語は明朝の洪武帝(1328-1398)による「六諭」、清朝の康熙帝(1661-1722)による「聖諭十六條」といった中国の皇帝の名のもとに頒布された教訓の模倣であったことが知られている(参照:たぬき日乗「禮教のない国の儒教道徳」)。  明治25年刊行の重野安繹『教育勅語衍義』には、ほぼ全ての語句に中国古典の出典(元ネタ)があることが指摘されているし、またその内容も五倫を重んじた朱子学の強い影響下に書かれたことが明らかにされている(参照:井ノ口哲也「朱子学と教育勅語」)。  もちろん教育勅語は近代的な立憲君主制下における「臣民」のあるべき姿を説いたものなので儒教一辺倒というわけではない。しかしその基礎となる部分に中国宋代に成立した朱子学があることは、肥後藩士の家に生まれ、明治天皇の侍読を務めた儒学者の元田永孚が起草に関与していることからも疑いない。  平成26年4月25日の衆議院文部科学委員会で文科大臣(当時)として「(教育勅語には)今日でも通用する普遍的なものがある」と答弁した下村博文議員をはじめ、この杉田議員、和田政宗議員、稲田朋美議員といった教育勅語の復活を唱える自称保守連中は、中国由来の儒学(朱子学)の徳目こそが日本を救うと主張しているにほぼ等しい。少しでも中国と関係があろうものなら「スパイ」だの「プロパガンダ」だの「工作」だのと騒ぎ立てる連中が支持するような議員こそが、熱心に中国由来の思想を広めようとしている可能性が浮上してきたわけなので、「日本を愛する普通の日本人」諸兄としてはそうした「危険分子」をしっかりと注視していくことを強くお薦めする。
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エセ保守こそ伝統を軽視している
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