かつては全員が「自分を縛る故郷」を手に入れることができた
経済成長の時代から90年代半ばくらいまでは、社会に出れば当たり前のように、全員が「自分を縛る家庭や家族」を得ることができた。日本は公教育への政府支出が少なく、子育てに莫大なお金がかかる。さらに女性の賃金が男性の7割程度と低いので、女性の間では専業主婦(パートでの兼業主婦含む)志向が根強い。
理想とされる「温かなふるさと(家庭や家族)」を形成するには、大黒柱となる男性の収入が必要不可欠、と多くの人が思っているので、経済格差が開けば開くほど、収入の低い男性は「理想」のイメージからあぶれてしまうのだ。
今、男性間の収入格差はどんどん開いている。仕事がなく、家庭を築くことすらできない低所得層にとっては、「自分を“縛る”ふるさとや家族」がある人間が、羨ましくすら映るはずだ。
この数か月だけでも、定職のない不安定な若者が、「誰でもよかった」と人を殺傷するような事件が相次いでいる。抵抗できない子供や女性、見知らぬ他人を狙って刃物を振り下ろす社会的弱者たちは、ある意味で非常に「身軽」なのだろう。
彼らには、守るべきものがない。自分を縛るしがらみすらない。そういうしがらみは「世間体」と言い換えることもできるが、彼らが憎んでいるのは「世間そのもの」なのかもしれない。いやむしろ、自分を縛ってくれない世間を憎んでいると言った方が正確だろう。
余計なしがらみを排除し、「身軽であることの価値」が高まっていく時代にあって、同時に「身軽でないこと」への羨望が高まっているのは皮肉な話だ。そういう人たちにとって何が「ふるさと」たりえるのか、私にはまだ分からない。
<文:北条かや>
【北条かや】石川県出身。同志社大学社会学部卒業、京都大学大学院文学部研究科修士課程修了。自らのキャバクラ勤務経験をもとにした初著書『
キャバ嬢の社会学』(星海社新書)で注目される。以後、執筆活動からTOKYO MX『モーニングCROSS』などのメディア出演まで、幅広く活躍。著書は『
整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)、『
本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)、『
こじらせ女子の日常』(宝島社)。最新刊は『
インターネットで死ぬということ』(イースト・プレス)。
公式ブログは「
コスプレで女やってますけど」