現役時代に何十億も動かしていた人でも「退職金運用」にはずぶの素人になってしまうワケ

“現金好き”で株式投資を危険視する日本人

貯金通帳とお金 (Large) 歴史的にみると、日本人の貯蓄性向が高いのは戦後の経済発展の仕方と関係があるように思います。日本が高度成長を目指すためには、企業の積極的な設備投資が必要です。しかし貧しかった当時の企業には、設備投資に振り向けられるようなお金がありませんでした。  そこで政府、日銀は貯蓄奨励を積極的に国民に呼びかけました。貯蓄を促すために、少額貯蓄非課税制度が導入されました。いわゆる「マル優制度」で、銀行預金、郵便貯金、公債(国債、地方債)などは上限350万円までを非課税とする制度です。当時の世の中には「貯蓄は美徳」の空気が広く浸透していました。金融機関や郵便局に集められたお金が低利で企業に貸し出され、設備投資に回り、高度成長を実現させました。  高度成長期の預金金利は、今日と比較するとかなり高水準でした。例えば1960~1990年頃までの約30年間、日本の公定歩合は平均5%以上、1~2年物の定期預金金利は5%前後でしたし、6%を超える時期もありました。この程度の高金利が維持されている限りは、人々が金融資産を預貯金として保有するのは極めて健全だったといえるでしょう。  さらに加えて言えば、日本人の“現金好き”も先進国の中では突出しているようです。戦前は銀行の数が少なかったし、戦後も高度成長期に至るまでは支店の数もいまほど多くはありませんでした。銀行からお金を引き出す場合も時間がかかり過ぎます。それに万一銀行が倒産してしまえば、元も子もなくなってしまう。その点、大切なお金を現金として保有していれば安心だ――。こんな発想からタンス預金と称して、自宅で現金を保有する傾向が明治以降の日本人には特に強かったように思います。  一方、アメリカ人と違って、株式投資を危険視する日本人の精神風土も無視できません。ハイリスク・ハイリターンの株の世界は「特殊な世界」、マネーゲームの好きなお金持ちの人たちの世界として敬遠されてきました。一攫千金を夢見て一文なしになってしまった相場師の話などが新聞などで報道されるたびに、「株は怖いもの」、「普通の素人が手を出すものではない」、といった否定的な見方が広がり、株アレルギーの日本人が多数派を形成するようになったのだと思います。  このように、家計部門の金融資産の構成比が日米で大きく異なっている理由は、歴史的に形成されてきた日本人の現預金信仰、株アレルギーが色濃く投影されているといえるでしょう。 石橋叩きのネット投資術第2回 <文/三橋規宏> みつはしただひろ●1940年生まれ。1964年慶応義塾大学経済学部卒、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、科学技術部長、論説副主幹、千葉商科大学教授、同大学名誉教授、環境を考える経済人の会21事務局長等を歴任。主著は『新・日本経済入門』(日本経済新聞出版社)『ゼミナール日本経済入門』(同)『環境経済入門』(日経文庫)『環境再生と日本経済』(岩波新書)『サッチャリズム』(中央公論社)『サステナビリティ経営』(講談社)など。
経済ジャーナリスト。1964年、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、千葉商科大学政策情報学部教授。2010年から名誉教授。専門は日本経済論、環境経済学。編著書に『新・日本経済入門』(編著、日本経済新聞出版社)『環境が大学を元気にする』(海象社)など多数。『石橋をたたいて渡るネット株投資術』(海象社)を8月9日に上梓。
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