日本の繊細な音意識は、日本文化の代表格ともいえる漫画にも「音喩(おんゆ)」としてふんだんに盛り込まれている。
「音喩」とは、マンガ評論家の夏目房之介氏による造語で、世界的にも多種とされる「日本語本来のオノマトペ(擬声語・擬音語・擬態語)」にすらハマらない、「どーーん」や「ちーん」、「ゴゴゴゴゴ」などのような「漫画の中のオノマトペ」を指す。
戦後、日本の漫画文化の飛躍的な発展に伴い、音喩も日本の音感覚をベースに独特な表現を増やしていった。
そのため、漫画が「Manga」として世界に拡散されるようになってもその翻訳は難しく、「ガーン」という表現も、中国語版の漫画では「失望」、「しーん」は英語版ではそのまま「Silence」と描かれたりする。ちなみに夏目房之介氏の祖父は、日本の文豪、夏目漱石だ。
そんな音に対する意識の高い日本の中にも、外国人が「雑音」だと感じる音は存在する。
よく知られている「麺をすする音」を始め、選挙カー、店内のヘビロテ音楽やアナウンス、鼻をすする音、笑いながら叩く手の音、「左や右に曲がります」を繰り返すトラックなどは、外国人からすると自文化にない音であるがゆえ、耳につくという。
また、芭蕉が「閑さ」を表すのに用いた前出の「蝉の声」も、外国人には暑さを倍増させるだけの雑“音”として捉えられることが多い。
ニューヨーク郊外で近隣住民総出のバーベキュー大会をした際、木陰で鳴く蝉に向かって「やかましい」を連発する前出の大家に、「蝉がダメで犬の足爪音がいい理由はなんだ」と、筆者は人知れず「失望」と相成るのだ。
また、筆者が日本語教師をしていた頃には、学生からこんな質問をよく受けた。
「日本では、電車のアナウンスもアニメの声でしますか?」
電車の車掌があのような鼻声で話す理由には諸説あるが、昔、マイクの性能が悪かった時の名残で、鼻声で話すと、普通の声より高い周波が強く出るため、車内の雑音の中でもアナウンスが聞こえやすくなるからだと言われている。
が、これを彼らに説明すると、毎度「いいえ、違います。日本の車内に雑音はありません」という猛烈で真っ当な反論に遭い、毎度授業の終着駅を見失いそうになるのだ。