一方で、ネットショップ再生の模索は続いた。
そして毎日何時間もPCの前でネットサーフィンを続けいているうちに、ようやく次のツールを発見する。
「いつもちょっとだけ、気づくのが早いんです。それが、当時流行し始めたTwitter。私にとっての、新たなブルーオーシャンになりました」
すぐに講座へ足を運んで活用法を把握した後は、ツイートに毎日6~7時間もつぎ込んでいく。するとまた3か月で、日本の上位0・01%のファン数を獲得。フォロワーは瞬く間に25000人超、書籍まで出版してしまった。
「どんなことをつぶやいたら喜ばれるのか、とにかく気が狂っていると言われるくらいやっていましたね。これもまた”過集中”の産物で、苦痛はまったく感じない。ウケがよかったのはご当地ネタや、名言格言。手を変え品を変え、投稿時間を変え、10分に1回くらいつぶやきまくっていました」
有利にファンを増やし、その後はフェイスブックへ移行。
アスペルガーであることを公表し、自身の体験や失敗をテーマに書いていたことで注目度がさらに上がって行った。
「まさにSNSバブル(笑)。NHKから取材を受けて、それを見たTSUTAYAからDVD制作の仕事をいただいて、そのDVDを見た方々から講演依頼をいただいて……という感じで繋がっていきました。アスペという言葉も、当時はまだ先物買いのひとつでしたからね」
ネットショップは再び盛り返し、加えてアスペルガーについての講演依頼が急増、現在は全国各地を飛び回るほどの多忙さを極めている。そして現在も、Twitterはフル稼働。先日も、広尾のご当地ネタで30000リツイートがついたと言う。
「ツイッターでもメルマガでも『今』というタイミングがあるんです。それを外さずにアップすると、ひと晩で300人くらい読者がついたりする。匂いがするんですよ。これは多分キャリアじゃないと思う。稽古を重ねるのは大事なことですけど、それだけでミラクルヒットは叩き出せない。必要なのはやはり『今』というタイミングと、言葉では説明し難い匂いの両方なんです」
そして昨年、年商はとうとう1億円に到達した。
順風満帆で安泰そのものに見える。だが、アズ氏はこのインタビューの冒頭に「8割はうまくいっていない」と話した。
何故ならここに来て、また新たな問題、いやかつての問題が再浮上してきたのだ。(続)
<取材・文/和場まさみ 構成/安英玉(HBO編集部)>